Nextepisode’s blog

院生(M1) 専門-開発経済/国際関係

なぜギリシャは経済破綻寸前までに陥ったのか

 

EUの加盟国で経済危機に陥っている国はいくつかありますが、その代表格はギリシャです。今回はなぜギリシャが経済危機に陥ってしまったのかについて書いていきます。

 

ギリシャの名目GDPは2016年で世界50位となっています。にもかかわらずギリシャの経常収支の赤字額は世界でもかなり高いです。

 

GDPー国の経済力

経常収支ー物の輸出入の集計

 

ギリシャはEUに01年に加盟しています。なのでどれだけ貿易収支が赤字化しても、為替レートが下落しないという環境が生まれ、ギリシャはひたすら経常収支の赤字を積み重ねていったわけです。国のパンクは貿易赤字が大きな原因であることがわかります。

 

そしてギリシャは公務員の数がかなり多いのです。割合にして4人に1人が公務員です。公務員は民間より1.5ー2.0倍の高い収入を得ます。また年金支給が55歳から始まるのですが、本人が死亡しても、親族にまで受給権が行き渡っていました。

 

これらのお金はギリシャ政府が国民に支払うお金です。なんとギリシャ国債を発行することで年金や公務員の原資を得ていたのです。

 

国債ー国の借金

 

で、結果どうなったのかというと、ギリシャは外国人投資家向けに、自国で金利調整が不可能なユーロ建てで国債を発行せざるえなかったのです。その結果ギリシャ国債の7割は外国人が保有することになりました。

 

日本の場合は負債の90%以上は国内の金融機関などから自国通貨建てで貸り入れしているので、国家破綻になるまでの危機には陥らないのですが、ギリシャは外国からユーロ建ててお金を帰り、国内の公務員の給与や年金を払っていたわけです。

 

常識的に考えればですよ、国内の経済が停滞し、失業なども増えてきたら、海外から入ってきたお金は国内のインフラ設備などに投資をするわけですよ。ただこの国はそんなことを一切してきませんでした。

 

ということでギリシャの失敗は知っておいて損はないですね。

 

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高校の英語教員に英検準1級相当の能力は必須か

 

一時期高校の英語教員は英検準1級相当の英語力が必要である、といった議論が起こっていて、英語学習者や指導者間でこの話題について話し合ったことと思います。

 

私は全級飛ばしで1級を受けたのですが、準1級を受ける学生の英語を指導していたりすると、準1級であっても付け焼き刀で受かるような簡単な試験ではないことが分かります。

 

で、個人的な意見を言いますと、全ての高校の英語教員が準1級相当の英語力を持つ必要はないと感じます。

 

一つ目の理由として、ひとえに高校といっても高校によって学力の差があるからです。麻布や日比谷みたいな偏差値の高い進学校であれば、英語力の高い教員を置いておく必要はあります。塾に行かずしても難関大学を狙えるほどレベルの高い教員を置いているというのが彼らの売りだからです。しかし偏差値もさほど高くなく、卒業生の大半は就職するような高校で英語力の高い教員が必要かというとそのようには思えません。高卒で英語を使って仕事をする人はまあ滅多にいませんから。

 

二つ目の理由は、そもそも論で、英語力のある人間は教員にはならないからです。もちろん中にはいるとは思いますが、英語力の高い人間はそこらの民間企業に入る人が多いです。というのも中期的にみたとき、民間企業入った方が給料が良く、また、近頃は教員に対するネガティヴな印象が濃くなってきているので、一層優秀な学生が教職の世界へ入って来なくなるのではないでしょうか。

 

以上の理由から、偏差値の高い高校には英語力の高い教員を置くべきですが、全ての高校の英語教員が英検準1級相当の英語力が必要かと問われれば、そうではないと思います。

 

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政治家のことは半グレと呼びましょう

 

日本の国会中継を観ているとなんだか情けなく感じるのは私だけでしょうか?

安倍首相に至っては相変わらず無駄な外遊を続け政策は醜いですし、人選も完全に失敗したように思います。家計学園や森友学園の一件から気付かない国民はいないと思いますが、彼は政治を私物化しようとしているのです。

 

で、今回書きたいのはそんな安倍批判ではなくて、安倍以外でも政治家の票の集め方が卑怯で醜くなってきたということです。

 

最近の政治家の支持の集め方は、特定の勝てそうな相手を見つけ徹底的に攻撃する「喧嘩」ですね。そうやって特定の相手をコテンパンにすることで支持を獲得しているのです。大阪の橋下さんはその喧嘩相手が「既得権益」、東京の小池都知事の場合は「豊洲市場」、安倍は「デフレ脱退」でした。

 

なんだか情けないですね。中身は無いに等しいです。

 

今の政府をみていると、「増税を引き延ばす」という言葉以外に国民の心を引き留めておくことが出来なくなっているように感じます。

 

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開発途上国の地域開発計画をODAのプロジェクトとして実施する場合に想定される問題は何か。

 

トピック

 

開発途上国の地域開発計画をODAのプロジェクトとして実施する場合に想定される問題は何か。なぜ持続性が大事なのか。

 

ODAとは政府開発援助の略であり、有償資金援助、無償資金援助、技術援助の3つからなるものである。日本は1954年のコロンボプランを機に開発途上国への経済協力を行うことになる。本稿では詳しいODAの紹介は別の機会に譲らせていただくこととし、トピックにある、ODAのプロジェクトとして実施する場合に想定されうる問題となぜ時速性が大事なのかということを簡潔に書いていきたい。

 

国際的なNGOにアクションエイドというグループがある。その団体がまとめたリアルアイドという報告書には、日本が開発途上国に対して行っているODAの問題点が挙げられている。

 

特に大きな問題は日本のODAは間接的であるということだ。途上国の基幹産業はいうまでもないが農業である。国のGDPの低さと農業従事率は概ね比例するのだが、日本が行うODAは技術支援を除けば、主にはインフラに回されている。インフラというのは道路や橋の建設で主に都市部で行われるのだが、本当に支援が必要な層は農村部にいる。彼らはODAの支援で建設された道路や橋を使う機会はないので、直接的にODAの恩恵を受けない。

 

なぜこのように本当に支援が必要な層に援助が行き渡らないのか?それは日本のODAの仕組みの問題である。日本が支援するODAは各国政府を介して行われるので、その資金の振り分けは相手国の政府が決定する。技術支援に至っても、受益者は行政官あるという点でどうしても間接的になってしまう。

 

以上のように本当に必要な層に支援が行き渡らないというのがODAを実施する上で一番の問題ではないだろうか?

 

また支援は永遠に行われるものではなく、遅かれ早かれ開発途上国は自らで国を経済的に独立させなければならない。ODAがなくなり技術支援が終わった際に、自分たちだけでは何もできないという状況に陥らないためには、今のうちから教育への投資や、短期的価値のあるもののみではなく、中長期で価値が出てくる分野への投資や技術支援はマストである

 

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まもなく迎える資本主義の終焉

 

先進国経済には根本的な問題があります。それは指数間速度的に増大する債務と鈍化する経済成長の齟齬です。経済成長の限界は、地球の有限性とエントロピーの増大という物理の法則の直接的帰結なので防ぎようがありません。また地球上に未拓のフロンティアは殆ど存在せず、エネルギー資源は生産性の高いものから使用されるため、指数関数的に生産効率が低下します。

 

ネパールのエベレストでオーストラリア、中国、ネパールが中心となって水資源に巨額の投資をしているみたいですが、あそこが最後のフロンティアになるのではないでしょうか?少なくとも残された数少ないフロンティアの中では一番大きな資源地だと思います。ちなみに余談ですが、ネパールのあの周辺は1996-2006年にかけて11年続いた内戦により悪化した治安は改善されず無法地帯化され、地震が頻繁に起こる地域なので、投資したいと考えている国も未だに躊躇しています。

 

まあそうこうしている内に、経済成長はなくなり、定常社会が訪れます。その時、永続的な経済成長を前提とした資本主義は終焉を迎えます。

 

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WTOにおける開発途上国の地位

 

トピック

 

WTOにおける開発途上国の地位

 

 

現在、WTOの加盟国の大多数は開発途上国である。それゆえ今のWTOにおける開発途上国の地位は高いと思われがちだが、実際は加盟している多くの開発途上国自由貿易の利益をはるかに上回る不利益を負っている。WTOの設立前は貿易障壁と差別的措置を廃止し、世界市場の統一を維持する目的でGATTが創設されていた。しかしGATTは先進国の工業製品という限定された範囲の中で自由貿易をするというものであり、そこに途上国は含まれておらず、途上国が貿易からの利益を得ることはなかった。そのような課題を克服すべく創設されたのがWTOである。だが上記でも述べたが、依然、開発途上国自由貿易から受ける恩恵は少ない。というのも加盟国の大半は途上国であるが、主要供給国は先進国が大半で、そこで途上国が期待しているが譲許の相互主義的交換によって関税交渉が行われるとき、先進国間の交渉の中に途上国の輸出品目が含まれ、一般的最恵国待遇に基づく波及効果により、その品目の関税が引き下げられることである。しかしながら、途上国が比較優位を持つ農業や衣類は自由化交渉の枠外に置かれており、先進国間で自由化交渉の対象となるのは主として、途上国が比較優位を持つとは思えない工業製品なので、途上国がこの一般最恵国待遇の波及効果による利益はそこまで大きなものではない。従ってWTOにおける開発途上国の地位は到底高いとは言えないのである。

 

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ステレオタイプ化された誤解

 

偏差値の高い大学に進学すると、偏差値の低い大学に比べて良い教育が受けれると思っている人がいるのだが、それは誤りである。これまで日本と国外の幾つかの異なる大学に足を踏み入れてきたが、確かに後発国の大学では大学によって受ける教育の質に明らかな差があった。だが、日本の大学に至っては殆ど差はないと感じた。

 

難関大学に進学するとその他の大学に比べ、素晴らしい教授がいたり、素晴らしい教育が受けれるというのは、実は誤解であると私は考えている。

 

確かに京大や東大は予算が潤沢だから環境設備に関しては恵まれていることは事実である。だが少なくとも学部レベルではその環境設備の恩恵を殆ど受ける機会はない。もし必要だと思うなら、大学院から東大や京大に進学すれば良い。(学歴ロンダ目的で院進学を目指す学生は救いようのない馬鹿だとは思うが)。

 

教授に関して言えば、殆ど全ての教授が高いレベルの教養と専門性を持っていて、考え方や研究に対する意識の違いはあっても、この教授は優秀だというのは個人の主観でしかなく、実際どの教授も知力という点で大差はない。

 

ではなぜ人材の輩出に差が出るのか?

 

答えは簡単で、難関大学は優秀な生徒を集めているからである。それゆえ、もし講義の内容が理解出来なくても周りの学生に聞けば解決できるし、就職活動で躓いても周りのコネで働き口が見つかったりする。

 

裏を返せば、自ら問題発見と解決ができ、考えて行動することができ、また、価値を生み出す能力が備わっているのであれば、大学にはそもそも進学する必要さえないように思う。

 

結局のところ出来ない人間は何処にいても出来ないし、出来る人間は場所を選ばないというのが私の実感としてある。

 

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