Nextepisode’s blog

院生(M1) 専門-開発経済/国際関係

アフリカにおける飢餓の内実

 

アフリカにおける食料不足と飢餓の問題について書いていきたい。といっても、アフリカが地球上で最後の未拓の地と称され、多くの人々が飢餓と貧困の下で糊口をしのいでいることはすでに皆が周知している。従って、本稿では一般的な見解から別の切り口でアフリカの飢餓問題を考えていくことにする。

 

アフリカにおける食糧不足の原因として一般的に第一に挙げられるのは人口増加率の高さである。他方、土地には限界があるので、食糧生産が人口増加に追いつかないというマルサス以来繰り返されてきた議論である。しかし、確かにアフリカの人口増加率は高いが、負けず劣らず中東や南米の国々における人口増加率も高い。土地については、人口一人当たり耕地面積はアフリカは中南米よりも小さいが、アジアに比べると2倍弱大きい。しかも、相当年数の休閑期間を伴う焼畑耕作の面積が少なくとも過半を占めるから、耕作可能面積は現在の耕地面積の2倍を超える。従って、アフリカの食糧不足の原因を単純に人口と土地の関係に求めるわけにはいかないのである。

 

第二の理由として、アフリカ諸国が工業ないし都市重視の政策をとり、農業を軽視してきたことが挙げられる。しかし、これもアフリカに限られたことではない。経済発展を目指す開発途上国が工業化を指向するのは当然であり、現在の先進国がかつて辿り、開発途上国が現に辿りつつある道でもある。その場合に、必要な原資を唯一の産業である農業に求めざるを得ないのも歴史が示すところである。実際には、工業化よりも、道路、電気、通信等のインフラストラクチュアの設備や、教育、衛生等に多くの資金が投入されてきたのであるが、それは国民の生活水準向上のためにはもちろん、農業の発達のためにも要請されるものであった。また、これらの投資の相当部分は援助によってまかなわれていることも考慮に入れる必要がある。

 

第三に、農業においては、輸出農産物が重視されて食糧生産が軽視されてきたことが考えられている。しかし、実際には、農民は輸出農産物と食糧生産の経済的有利性を比較したうえで輸出農産物の生産を行っている。国民経済の立場からしても、ココアやコーヒー等の輸出によって、国内で生産した場合以上の食糧を輸入できるとすれば、それは合理的な選択だと言える。さらに、工業化を図るための機械や原材料はさし当り輸入によって調達する以外に方法がないのであるから、輸出農産物の生産を進めるのは、やむを得ない選択でもあった。先進国の経済発展の歴史も同様の過程を辿っているのである。また、輸出農産物生産による現金収入によって農機具や肥料の購入が可能となり、それが食糧生産に寄与したことも見落としてはならない。

 

第四に、人口増加によって土地利用が強化され、砂漠化等環境破壊が生じたことが挙げられる。しかし、砂漠化がどの地域でどの程度進行しているのか、それは人為的理由によるものなのか、気象条件の変化によるものなのか等の問題は、必ずしも十分に理解されていないように思われる。統計で見る限り、各国の耕地面積と単収が増加している事実も存在するのである。

 

それでは問題はどこにあるのであろうか。それを考えるに当たっては、アフリカにおける食料不足は、実は増大する人口一般にとってではなく、増大する都市人口にとっての不足であることに注目する必要がある。アフリカの人口は近年急増している。その内訳のほとんどが都市人口での急増なのだ。ナイジェリアのラゴスエチオピアアディスアベバナミビアウィントフックセネガルダカールなど、今日でも多くの人々が都市へと移住をしている。

 

マクロとして捉えると、アフリカの食糧生産はほぼ農民人口の増加率並みの伸びを示し、農村部における食糧を自給したうえで若干の余剰を生み出し続けた。しかし、増大する都市人口の需要を満たすことはできず、都市人口はますます輸入依存度を高め、その食糧の大半を輸入に依存するにいたったのである。

 

農民が都市向けの食糧生産を増大させ得なかったのは、輸入食糧が相対的に安い価格で供給され、商品生産としての食糧生産が採算に合わなかったためである。輸入食糧は都市住民にとっては安い食糧であったが、農村住民にとっては国内輸送経費等が加算されて高いものになるから、それに依存するよりは自給する方が一般に有利である。そこで、自給のための食糧生産は続けることになるが、その生産方法は基本的に伝統的農法の域を出ることができなかった。その意味で、アフリカの食糧不足は、伝統的農法の下における食糧生産力の停滞からくる都市人口の食糧問題にほかならないのである。

 

これに対して、飢餓とは主として農村人口にとっての問題である。また、食糧不足がいわば恒常的な問題であるのに対して、飢餓は不定的、かつ、しばし局所的に生ずる問題である。食糧生産が自給自足段階にある状況のもとでは、異常気象によって不作が2年も続けば飢餓の発生は避けられない。イギリスでは、西暦10年から1850年までの約180年間に187回の飢餓があったといわれ、インドでは297年から1947年までの間に、70回の飢餓があったといわれる。

 

現在アフリカ諸国の農民は想像以上に諸品経済に巻き込まれているが、基本的に自家消費の余剰を販売する段階にとどまる農民の得る現金収入は生活必需品を賄う程度のものであり、貯蓄も乏しい。不作で食糧の貯えが底をつくと高騰する食料を購入することはできず、飢餓に結びつくことになりやすい。さらに、アフリカでは情報通信網が不備で、事態の迅速な把握が困難である。道路事情の悪さ、輸送手段の欠如等から、そこへの支援物資が円滑に届かない。そのため、首都には食糧が十分にあっても、特定の地域で飢餓が発生するといった事態が生ずる。一般に飢餓は、首都等の都市や、輸出農産物の生産地帯では生じない。都市人口は食糧の大半を輸入でまかなっているので、国内の不作の影響を直接受けることが少なく、また必要があれば政府は補助金付きで安く放出する。輸出農産物生産地帯は所得水準が相対的に高く、食糧の購入が一般に可能である。こうして飢餓は、むしろ食糧生産地帯に局所的に生ずることになる。

 

アフリカの食糧問題解決のためには、迂遠のようだが何より道路、次いで通信等のインフラストラクチュアの設備が必要と思われる。それは、肥料等の生産資材や食糧をはじめとする生産物の流通コストを引き下げることにより、間接的に食糧生産の増大に寄与するであろう。価格・流通政策については、安い輸入食糧や支援が現状では必要であることは事実ではあるが、その都市人口への供給にあたっては国内生産者価格への悪影響を極力少なくする必要があろう。都市に貧しい住民が存在するのは事実であるが、都市と農村の間にアジア地域以上に所得格差が存在することが指摘されている事実もある。政府機関の買い上げについては、農民への所得保証、都市住民への供給確保、証人による不当利得の排除等を目的としているが、その非効率性から所期の目的を達成できない国が多い。それらの国では、道路、通信網の設備を急ぐとともに民間流通をより積極的に進めることが目的接合的であろう。農業生産面においては、まず優良品種の選抜に始まる品種改良、灌漑地の拡大、有畜農業化等が必要であろう。このうち灌漑については大規模感慨の失敗事例が多いので、農民が施設の維持、管理が比較的容易に行える中小規模のものが望ましいであろう。

 

その他多くの対策が考えられようが、現在のアフリカのほとんどの国は、累積債務、財政や貿易収支の赤字等で経済的危機の状況下にあり、実施が困難なものが多い。今後支援の拡大が図られたとしても、食糧問題の解決には長期間を要すると言わざるを得ないであろう。

 

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