Nextepisode’s blog

院生(M1) 専門-開発経済/国際関係

子どもを最優先に考えた離婚


春の訪れを待ちわびながらちょうど去年の今頃、私は「夫婦断絶防止法」に関する講演会に参加した。この法案は、「離婚等の後も子が父母と親子としての継続的な関係を持ち、その愛情を受けることが、子の健全な成長及び人格の形成のために重要である」という理念のもと、「連れ去りを防ぐ法制の検討が必要」との見解から国会に提出され、今日に至るまで可決されていないものの、遅かれ早かれ可決される可能性が十分にある法案である。

この法案をめぐる講演会に参加した時、「温かい家庭こそ善」という同調圧力を感じずにはいられなかった。もちろん、家庭が温かい場所でなら素晴らしい。しかし問題は、その家庭が安らぎの場所ではない人が少なからずいるにもかかわらず、社会のどこかに彼らの居場所を作ろうと政治家が積極的にならず、「家庭の中で解決してください」とでも言わんばかりの態度であるということだ。

離婚は、言うまでもなく途方もない苦労を伴う。誰が好き好んで戸籍にバツを背負うだろう。参加者の一人が壇上で「私が離婚をした理由は、相手がギャンブル依存に陥り、DVによって生命の危険を感じたことにあります。まだ四歳だった娘とともに命かながら逃げてきた行為を”連れ去り”だったと言われてしまえば、私はこの法案によってどんな人間になってしまうのでしょうか」。

もちろん彼女は衝動的に離婚に踏み切ったわけではない。様々な機関へ通い、生活改善を試み、相手の両親とも話し合いの機会を持った。多くの離婚経験者がそうであるように、彼女の場合も、そこに至るまでに長い時間と深い苦悩があった。当然、”子どもの将来を最優先に考えた”。

そもそも、多くの場合親権者にならない父親を想定した面会交流の保障をむやみに行うだけで、、親子の断絶が防止できると考えるのも短格的である。講演会で聴いた話の中で最も驚いたのが、オーストラリアでは10年も前に親子断絶防止法が制定されていたことだ。だが「面会交流を行うほど良い」との理念があり、交流を重ねれば重ねるほど、非同居親が支払う教育費は減額される仕組みだという。さらに09年には、子どもとの面会交流中に父親から四歳の子どもが橋の下に落とされる事件が起き、DV夫の暴力癖と法制度によって幼い生命が消えた。

いたずらに親子を引き合わせることは、「幸せ家族」の保全にしかなりえない。人はそれぞれに事情を抱えて生きる。その個別的な事情に配慮を巡らせない法案が通れば、オーストラリアの失敗を繰り返すことになりかねない。蛇足ながら、この法案は、DVなどの実力行使になった際に必ず被害者になる女性の視点が少ないように思われる。

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