体罰に関して思うこと
埼玉県にある武蔵越生高校サッカー部で指導員が生徒に体罰を与え解雇になってしまったらしい。
あぁ、またか。。
ニュースを見た私は、先月、大阪府今宮工科高校のバレー部で起きた体罰が頭に浮かんだ。あの時からまだ1カ月も立っていないじゃないか。
体罰の一部始終を捉えた動画がSNSですぐさま拡散され、今日の昼にはすでに指導員が解雇されたとのニュースが流れた。
安易に動画を拡散させない方が良い。この動画が原因で部員が大会に出られないようなことが起こったらあなたたちは責任を取れるのか?
動画の拡散に否定的な声が一度上がれば
指導者の暴力で万が一にも選手達に後遺症が残れば、今後の人生が狂うんだぞ。
でも、この指導者が話題になって、サッカー部が廃部になったら選手達がかわいそう。
やる気がある選手は例えサッカー部が廃部になったとしても、クラブチームに入ることだってできる。
動画の拡散に対する議論が繰り広げられている。
どちらの主張が正しいか?
本稿の主たる関心はそこにはない。
だがこの国には体罰が未来ある学生を自殺に追いやった決して許されない過去があることを忘れてはならない。
部活動の指導員の中にはデスクワークが忙しく部活動に力を入れることができない教員もいる。しかし多くの指導員はプライベートな時間を削って部活動の指導をすることを厭わない。多くの指導員が熱心に生徒と向き合い、指導の勉強会にも参加し、専門的な知識を覚えるため貴重な睡眠時間も犠牲にしている。今回体罰を起こした指導員もそんな熱心な指導者の一人であったのだろうと察する。
教員の長期労働化、非正規雇用教員の増加など、教員を取り巻く環境が激変し、それでも部活動の成績が地域で一定の権威を持ち続ける時代になった。言うまでもなく体罰はいけないことだ。しかしその一方で、勝ち続け、貪欲になることで見失う冷静さが指導員にはあるように思う。
誰かが悪者というわかりやすい構図ではなく、すべての人が頑張っていながら悲劇を起こしかねないという意味において、部活動の危険な面についての理解が進めばいい。