Nextepisode’s blog

院生(M1) 専門-開発経済/国際関係

部活動は社会の縮図

 

日本大学のラクビー部の顧問が矢面に立たされている。事の発端は今月6日の関西学院大学との定期戦で起こった。日本代表候補にも選ばれ、将来が有望される日大の選手が監督から「最初のプレーで相手に怪我をさせろ」と指示を受け、その指示に従った選手はその試合中に悪質なファールを繰り返し、一人の選手に怪我を負わせ退場になった。「相手を潰してこい」との信じられない指示を出した日大の監督は日大常務理事を務めるほどの人間でもあった。監督からの指示を受け反則プレーを強いられた生徒は前代未聞、多くの記者の前で素顔を晒し謝罪の意を述べた。

この事件を、単に顧問の問題と結論づけるのは容易だ。現に多くの教員は指導者としても熱心で、そればかりか無償か少ない報酬で部活を引き受けている。だが、私は部活という密閉された空間における異常性について、少し思うことがある。新聞を賑わせる部活動における過度な指導を行うのは、大抵は運動部である。それは上意下達を徹底し、有無を言わない体育的な雰囲気に一因があるが、実は吹奏楽部や合唱部でもこの文化は根強い。

私の姉は関西でも有名な高校の吹奏楽部に所属していたが、毎日のように朝は早く夜家に着くのは22時をまわっていた。それでも楽器を吹くのが好きだった姉は骨の折れるメニューをこなしつつ、一方で理性を保つように頑張っていた。ある日、姉が家に帰ってきて親に顧問の先生が部員に発した言葉を赤裸々に暴露した。「ここは治外法権だ。君たちは金賞を取るまで人権もない」と言われたことを。私は驚きを隠せず部活を辞めるように姉に伝えたが、集団の中から一人抜ける覚悟を姉はおろか、どの部員も持ってはいなかった。結局誰一人として弱音を吐くことが出来ない環境の中、姉は部活を引退するまでずっと監督に服従することとなった。指導と称して発声中に口に指を入れられたり、腹式呼吸の確認と
称して下腹部すれすれを撫でられたりしたそうだ。

よく人は「結果が伴えば嫌な記憶は忘れられる」というが、それは間違いだと私は感じている。全国を舞台に楽器を弾き、うち大きな大会で金賞も獲得したが、おかげで何の感慨も消え失せてしまったそうだ。むしろ、結果を出せば全てがチャラになる風潮に当時の姉は疲弊しきっていた。部活動とは、指導者である大人一人に対して判断能力の弱い学生が数十人いる土壇場である。必然的に顧問は独裁者になりやすい。加えて、勝ち続けることで学校、保護者、地域からの期待と尊敬は高まり、実績さえ出せば誰も逆らえなくなる。姉の顧問も裏で学生たちに独裁者と呼ばれていた。

日本大学のラクビー部の今回の一件で、部活では指導者と学生との人間関係が崩れ、意に反して指導者に服従している学生たちがいることが明るみに出た。学校は社会の縮図だとよく言われる。閉塞感によって思考停止状態に追い込まれていく状況を、今こそ真剣に見直さなければならないと思う。

 

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