Nextepisode’s blog

院生(M1) 専門-開発経済/国際関係

自己責任論の極致

 

世の中にはしてはならないと言われることがある。薬物使用や売春、自殺などである。最近街を歩いていると、薬物使用の恐ろしさを訴えるポスターを頻繁に見かけるようになった。内閣府や警視庁が出すJKビジネスへの警告チラシには「絶対やっちゃダメ」の言葉が添えられている。また自殺願望者に対しては、古くから宗教の世界において「自殺をすれば天国に行けない」とタブー視されてきた歴史がある。

 

望ましくない行為をしそうな人々に何らかのアクションをすることで、そこから遠ざけたいという善意から発した言葉であることは疑わない。しかし「ダメ絶対」の烙印を押すことに、一体どれほどの意味があるというのだろうか。

 

先日、世界的に有名なDJプロデューサーであるAvicii氏が滞在先のオマーンで自殺をしたというニュースがあった。若くして成功し富も名声も得た彼がなぜ自殺を選んだのかと感じた人もいたと思う。他方、日本の芸能界でも薬物使用で世間を賑わす人達が後を絶たない。

 

「ダメ絶対」のポスターを見ていると、そうした彼/彼女らの顔が頭に浮かぶ。ダメなのは、みんなわかっている。誰も薬物や売春、自殺を善行となんて思っていないだろう。そこに至るまでに抱えきれない孤独感や喪失感を無視して、「それはやってはいけないことだよ」という正論だけを振りかざす。

 

弱い人が抱えている問題には向き合わないのに、正しくあれと強要してくる社会になってしまった。そうなってくると外部からの影響で「ダメ」の行為に移ってしまう彼らと、そうはならない人たちとの世界はどんどん隔っていく。JKビジネスの啓蒙ポスターについては「買う側の視点」が欠如しているように感じることがある。「売る側の人間」も「買う側」の人間も、そこに至るまでにはそれぞれにストーリーがある。その個々の境遇を無視し、なりふり構わず批難する人たちは、本当に大事な感性を失っていると思う。

 

そうやって外にいる人たちが「ダメ絶対」の烙印を押し続ける。まさに自己責任論の極致ではないか。自分がいざ当事者になってみないと何も気にせず生きていける鈍化した感性に警鐘を鳴らしたい。

 

f:id:Nextepisode:20180504083936g:plain