Nextepisode’s blog

院生(M1) 専門-開発経済/国際関係

学びの機会は皆に与えられている

 

ロンブーの淳氏による青学受験が幕を下ろした。結果は不運にも合格とはならなかったが、彼が真摯に受験に挑み、それに向けて多忙な中勉強に励む様子はメディアを通して十分に我々に伝わった。「受験は闘い」、結果に笑う者あれば、泣く者もある。けれども、人によっては結果以上に大切なことが学べる、それが受験の醍醐味でもある。

 

それにも関わらず、淳氏が受験を志してから結果が出た今でもまだ、彼に対するネガティブな発言が世間から聞こえてくる。「単なるテレビの企画なのだろう」、「真剣な受験ならメディアを通さずにやれ」、合否が発表された後も、「本当に学びたいのなら他大学も受けていたはずだ」、「もちろん来年も受けるのだろう?」等の辛辣な意見である。

 

淳氏が昨晩ツイッターに載せた主な志願理由を読むと、彼はこれまで勉強をしてこなかったことで、大人になった今、勉強したいという欲が出てきたそうだ。法学部を受験したのは、自らの社会経験からテレビ業界での「規制」の曖昧さに気付き、それを看過できないという思いと、改善していくためには業界の事情に通暁していなくてはならないと思い始めたのがきっかけだそうだ。青学を目指した理由は、単に大学に憧れていただけでなく、同学学部で教鞭をとる住吉教授のゼミで学びたいと感じたからだという。

 

言うまでもなく、多くの人間が大学に進学する時代になった。だが、彼のように、明確な目標と学びたい特定の分野が事前に定まった上で大学へと進学する者はいったいどれほどいるのだろうか。多くの人たちが、自分が何を学びたくて、学んだ事をどう今後に生かしていきたいのか、それさえ曖昧に大学に進学していることだろう。そのような学生たちと、淳氏のような人たち、どちらが本当に大学で学びを得るべきであるのか。

 

100日間でほとんど0の状態から青学を受験して合格することは砂上の楼閣だったのかもしれない。だが、本当に学びたい人間がその立場や環境が理由で学ぶことを許されないのであれば、それはなんとも牽強付会なことである。

 

人によって学ぶべきことも学ぶべき時期も期間も相手も異なる。学びたいと思う人間が自由に学べる場所として大学があってほしい。そして大学へと進むチャンスは皆が平等に与えられている。

 

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