Nextepisode’s blog

院生(M1) 専門-開発経済/国際関係

日本国憲法が保障したものの大きさ

 

私の祖父は77歳になった。ちょうど幼少期に戦後を迎えた祖父は、言ってしまえば「日本国憲法と同世代」ということになる。思想・良心の自由を掲げる憲法のもとで、様々に表現されたものを見たり、あるいは自分で創作して発表する機会を得てきた世代だ。「長く共にいると空気のようになる」とはうまい喩えだと思う。人間にとって大切なはずの空気にも、特段感謝をしなくなるのだ。

 

制定から70年以上が経過した憲法も、今や「空気」になった感が拭えない、と祖父が言った。

 

祖父の父であり私の大祖父にあたる人は祖父が子供の頃、小さな出版社を営んでいたそうだ。しかし、治安維持法の毒牙に幾度も経営を阻害されたそうだ。だがその分、大祖父は表現することの意義深さを肌で感じた人でもあったという。「自粛しなければという雰囲気があるときこそ、しっかり自分で何を世の中に問いたいか考えなければいけない」。いつもそう言っていたそうだ。大戦から長い年月が経ったこの局面で、この言葉はことさらに重要になってきたように思う。与えられて当然の、空気のように考えられてきたあらゆる自由が、その濃度を希薄にしつつある。

 

科学技術の力で国民全体に広く縄を掛け、捜査機関が恣意的に対象を「犯罪者」に仕立てることができる危険な共謀罪が成立してしまった。表向きはテロ対策であり、国民から危険を遠ざけるためであるが、何を危険とするかは警察当局が決められる。科学技術が発達した分、監視された場合にプライバシーすべてを丸裸にされることは確実になった。多くの国民は「犯罪者に適用するのだから自分には関係ない」と考え、捜査の刃が自分の日常生活に向くとは思いもしない。

 

大祖父も何度か出頭させられたそうだ。そのたび、周囲の人々が少しずつ距離を置いていった。無辜の市民からすれば、連行されていく大祖父が本当に罪を犯したのかというよりも、警察から犯人と目されている人とは関わりたくなかったのだろう。数の力で法案を押し切れば、民主主義的な議論を否定することになりかねず、民主主義が崩壊していくはずだ。そしてまだ、十分に処罰対象とする犯罪も絞りきれていない。

 

驚くべきことに、GPS捜査が違法であると判断を下した最高裁に対し「裁判所は現場のことが何もわかっていない」と愚痴をこぼした捜査関係者の幹部がいたそうだ。星を上げるためなら人権侵害もやむなしと考える現場は、共謀罪が成立したことにより、捜査の権限は無限に広がってしまった。個人の表現が制限されない社会を作るのは、世論であってほしい。日本国憲法が保障したものの大きさを今更ながら、感じる。

 

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