Nextepisode’s blog

院生(M1) 専門-開発経済/国際関係

情報社会に生きるということ

 

仕事終わりの電車の中、何やら三人組の男子高生が話している声が聞こえてきた。「翁長さんの発言は支持できないね。実際のところ沖縄の人たちは米軍基地があって生活が成り立っているのだから」。私は「高校生でも政治についてしっかり考えているんだ」と関心したが、すぐに話題はドラマの話に移ってしまった。そして少し経つと話はオリンピックの話題に飛んだ。どうやら、政治やスポーツ、芸能などあらゆる分野を網羅できるサイトをスマホで見ているようだ。きっとその中の一人が見ている画面にたまたま翁長知事が画面に映し出されたのだろう。

 

若者は溢れる情報の海を泳いでいると言われるが、わたしは、水切り遊びに近いと思っている。ちょうど、川の水面をうまく瞬発力で石が渡っていくようなイメージだ。若者に手渡される情報は確かに多いが、瞬時かつ無意識に「要る」「要らない」を選別するのが日常になっている。彼らは翁長知事を「政府に楯突いているおじさん」というカテゴリーに入れて、それ以上は深く知ろうとしないし、誰も彼らに教えようともしなかったのではないか。だとすれば、ただ何となく「自分とは違う人」という印象だけがおぼろげに残ることになる。

 

翁長知事は、三代続く保守派の政治家の生まれである。彼は沖縄県自民党に身を置き、県議時代には辺野古基地移設推進の旗を振った。その当時について、国との交渉の中で、苦渋の選択であった2012年11月の朝日新聞のインタビューで答えている。

 

一見矛盾した行動も、奥深い政治の世界に翻弄されつつ信念を曲げないための処世術だったとみるべきだろう。まして、ネットニュースや新聞の小見出しだけを撫でるように見ただけで、世の中がわかるはずもない。また、ちょうど1年ほど前、高江ヘリパット建設に反対する市民に対し「土人」と暴言を吐いた機動隊がいたことが問題とされた。しかし概ねどのメディアも主語を「機動隊員が」としてあり、釈然としなかったことを覚えている。暴言を吐いた主体は、個人などではなく、国家権力であるとなぜ明示しなかったのか。

 

権力の中に、「沖縄で政府のやり方に異を唱える人間は自分たちとは違う」という根強い差別意識があり、それを誰も正そうとしないから、まだ20代の機動隊員の口からあのような差別的な言葉が出てくるのである。たまたまあの隊員が発言をしただけのことで、根本的な差別意識を共有している権力の存在が背後にあることを忘れてはならない。しかしそのような事件も、そこから得た教訓も、ただ情報が右から左に流れていくだけの世の中では「それを知っている」と瞬発的に判断したらそれ以上の何も人々は知ろうとしない。まして本土の人たちは、一度「関係ない」と思ったものを切り捨てて、自らの忙しい日常へ帰っていく。

 

そんな人々が「中央」と呼ばれ政治を動かすとすれば、マイノリティーが人並みに尊重されることなど、どうしてあり得ようか。

 

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