Nextepisode’s blog

院生(M1) 専門-開発経済/国際関係

問われる平常時の住宅政策

 

東日本大震災から7年が経とうとしている。 東北の震災3県である岩手、宮城、福島では今なお3万人もの人が仮設住宅に住み続けている。応急的であり、一時的な仮設住宅に多くの人が長く住み続けなければならないということを、我々はどのように考えているのだろうか。もちろん仮設住宅に住み続けている人たちも、一刻も早くその場から離れたいという気持ちを日々抱えて生きていることだろうし、被災自治体の関係者も同じ気持ちで日々復興に向けて職務にあたっている。だから私はこうした状況を受け、当事者の判断や自治体関係者を問題にするつもりは微塵もなく、むしろ復興が進まない状況を許容しているのは私であり、当事者以外の非被災者であると考えている。自分が当事者にならなければ主体という意識すらなく日々平然と生きていける鈍化した感性が一番の深刻な問題であり、復興が進まない原因なのだろうと思う。

 

このブログではこれまで2度に渡り住宅問題を取り上げてきた。

 

 

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1回目は空き家問題について書いた。日本全国で空き家の数が増えてしまった原因と、国を挙げて空き家の再利用に取り組まなければならないことを指摘した。

 

 

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2回目は若者のための住宅政策を書いた。相対的貧困層が増え、日本全体で経済成長が鈍化してきた社会で、住宅政策に早急に取り組む必要性を訴えた。

 

3回目となる本稿では、震災後の住宅をめぐる日常生活回復の拠点となるべき住宅確保の政策について、平常時の住宅政策との接合を重視し、普遍的な社会政策の一環としての住宅政策の必要性を訴えていくことを目的とする。社会政策の一環としての住宅政策の中で、国土交通省が”住宅確保要配偶者”という小難しい言葉を用いるのは、対策を講じようとする姿勢の表れだと受け取れる一方で、政策の必要性が認知されてこなかったことの表れとも言える。

 

この「住宅確保要配偶者」とは「低額所得者、被災者、高齢者、障害者、子供を育成する家庭その他住宅の確保に特に配慮を要する者」の略称である。その問題認識の広さは注目に値するが、対策の実質が伴わなければならないだろう。本稿では「住宅確保要配偶者」のうち「低額所得者と被災者」に着目し、住宅政策を構築するための論点提示を試みる。

 

仮設住宅には大きく2種類がある。プレハブと呼ばれる建設仮設住宅と民間賃貸を借りて提供する借り上げ仮設住宅である。東日本大震災を契機に急増したのは後者の借り上げ仮設住宅であった。震災前の想定では、借り上げ仮設住宅は、賃貸住宅関係団体が作成した空き家リストと被災者のマッチングにより提供することとしていた。しかし、震災後の混乱のなかで市町村や被災者に情報が周知されず、リストの作成やマッチング作業の進行よりも、被災者が自ら住宅を借りようとする動きが早かった。そこで被災者が借り上げ条件に沿った民間賃貸住宅に入居した場合、自治体の借り上げ住宅と認めるなど特例措置を講じた。特例措置により借り上げ仮設住宅数は急増し、その戸数及び割合は驚くほど上昇した。

 

特例措置そのものは、被災者の動向やニーズにあった適切な対応であっただろう。しかし、対応が後手にまわった弊害は大きかった。被災救助法としての住宅提供にはすでに被災者と家主が結んだ賃貸契約を県、家主、被災者間での契約に切り替える手続きを要し、それに大変な時間と労力がかかった。建設仮設住宅に合わせて当初二年契約を結び、これを一年延長するごとに更新する手間もかかり、何より、更新を拒否され転居を余儀なくされるという問題も生じた。なお、のちに建設仮設住宅や一定の条件により借り上げ仮設住宅への転居を認めている。

 

このような借り上げ仮設住宅の実態は、現物供与というより家賃補助の意味合いが強いことを物語っており、支援の方法を実態にあわせるべきと考える。被災自治体や会計検査院は今回の経験を踏まえ、現金給付化の必要性を指摘した。住宅の現物供与中心ではなく賃貸の現金給付をすれば、転居の問題もなく、移住権の保障にも繋がる。今後このような改善策を取ることが期待されるが、それが実現しても、重大な論争点が残る。災害救済法に基づく応急的、一時的な措置である以上、住宅の現物でも賃料の補助であっても、いつまで給付し続けるか、という問題である。そこで、震災から23年を経た阪神淡路大震災の例を取り上げたい。

 

避難所から仮設住宅に身を移したあと、被災者が目指すのは仮設ではない安定した住宅の確保である。選択肢は大きく二つある。自宅再建、もしくは災害公営住宅等への入居である。阪神淡路大震災による住宅被害は広域に及ぶが、被災規模が突出していたのは神戸市であった。神戸市は、応急仮設住宅入居者の実態調査から、被災者に高年齢・低所得者が多く、公営住宅等への入居希望が高いという実態を踏まえ、公営住宅供給を計画的に進めた。特に神戸市は、当時の都市基盤設備公団及び民間から借り上げて公営住宅として供給する、借り上げ復興住宅を全国に先駆けて実践した。

 

借り上げ復興住宅に被災経験者は未来永劫住めるのかと思いきや、実は20年の期限を設けていること、それを知った入居者の動揺する様子を2011年末頃に高校生であった私はテレビのニュースを通してみていた。あるニュースでは「阪神淡路大震災の被害者であることによる’’優遇’’、’’特例施策’’をいつまで続けていくべきか」、一般市民、他の住宅困窮者などとの公平性の問題について多くの時間が割かれているとあった。意見交換からは、全体の住宅困窮者からみれば、借上市営住宅入居者はすでに利益を受けてきたわけで、移転する不利益はあっても著しく不利益とはいえない、という議論が読み取れた。

 

このように公平性の問題を議論する上で、問われるべきは「平常時の住宅政策」である。公営住宅の供給は、戸数が限られるなかで、その対象を「住宅に困窮する低所得者」であって「高齢、障害、母子」世帯、最近では「災害被害者、DV被害者、ホームレス、犯罪被害者、子育て世代」といったカテゴリーに合致する住宅困窮者を選ぶ傾向を強めている。対象を限定して、公営住宅に入居できる人と入居できない人の間に生じる不平等に対応しようとするのである。

 

それらに該当する人たちを優先的に入居させ、20年以上経ち、高齢化が進行して困窮者が増した。当然の事態である。その現状を踏まえてか、移転することが必ずしも利益ではないという見解を持つ人も多く現れた。借上市営住宅に住むより、よい介護サービスを受けられるなどといった意見である。この見解にも一理あろうが、神戸市の方針に反して公営住宅に住み続ける自由は制限されて当然なのか、とも思うのである。やはり、平常時の住宅政策が問われなければならない。

 

東日本大震災後の借り上げ仮設住宅に関する特例措置の意義とは裏腹に、政府の対応が後手にまわっていることの問題は大きい。阪神淡路大震災の復興住宅において、20年後に転居しなければならないと知らされた住民の不安は想像して余りある。住宅扶助の基準額改定の背景には「貧困ビジネス」という問題があり、劣悪な環境で暮らす生活保護受給が可能なほど低所得であるにもかかわらず、受給していない生活困窮者が少なくない。その方たちが生活保護受給に繋がり、「健康で文化的な最低限の生活」の拠点となる住宅確保の支援が求められる状況もある。未だなお仮設住宅に居住し続ける人の存在も含め、住居にまつわる問題が引き起こす共通の悩みは、これからの生活が見通せないことではないかと考える。

 

そう考えると、人間である以上当たり前のこととして保障されている権利さえ侵されている人たちが、明日に怯えず暮らしていける社会を実現できるまで、まだ長く時間を要するだろう。

 

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