Nextepisode’s blog

院生(M1) 専門-開発経済/国際関係

ボトムアップ政策としての住宅政策

 

近年、多くの政党が教育の無償化を政策課題に掲げるようになった。おそらくそれは、他の先進国と比べ望外に高い授業料や相対的貧困率が上昇する中で、経済的に高等教育への進学を諦めざるえない人たちが出てきたことが主な要因であろうと思う。確かに教育の無償化は(可能なら)早急に実現すべきだ。現に、一部の有能な学生が高騰する授業料を理由に進学先を海外に移している。他方で、私は住宅政策にも本腰を入れるべきだと考えている。

 

現在、年収200万円未満の若者では親との同居率が77%にも達している。年収200万円と聞くと「そんな安賃金で働いている人はいないだろう」という声が聞こえてきそうだが、非正規雇用率が上昇していることや、大学の進学率が上がっていることを踏まえると、年収200万円未満の若者に当該する層は、意外にも多い。彼らは、親の年金や援助が途絶えると途端に生活が苦しくなる立場にある。

 

もし、家賃が安くなったり、住宅手当が利用可能となれば、パラサイト世代でもある彼らは、一転、賃貸世代の予備軍になる。もちろん東京や神奈川、名古屋や大阪などの大都市ではすでに、狭小かつ高家賃のため齷齪する賃貸世代現役軍のワーキングプアも少なからず存在している。私は彼らへの支援こそ早急に必要なのではないかと思う。かくいう私も、その現役軍の一人である。大都市で治安や交通の便を考慮すると、様々な点を妥協しても家賃のみで毎月5万円強の支払いがある。

 

相対的貧困率の上昇、中間層の解体という背景から、イギリスは社会民主主義的な再配分の文脈のなかで、住宅政策を次々と変容させてきた。社会変動という名の同じ轍を踏む日本は、イギリスの住宅政策から学ぶべきことが多くある。そこで本稿では、「日本は住宅政策を行うべきだ」という筆者の前置きのもと、イギリスの住宅政策から今後の日本に必要なことを考えていきたいと思う。

 

経済学を専攻したことのある学生にとって「トリクルダウン理論」という言葉は聞き覚えがあるだろう。これは”富めるものが富めば、貧しいものにも自然に富が滴り落ちる”という経済思想である。新自由主義の代表的な主張の一つとされ、これまで富める者とそうではない者が二分化された時にも、この理論が肯定されてきた。しかし現状はそうではなく、どんなに強者が潤おうとも、その富が弱者に滴り落ちることはなかった。少なくとも、現状はそうで、未曾有の格差社会がそれを雄弁に物語っている。

 

2014年1月のガーディアン紙は「記録的な数に達した、親と同居する若者」というタイトルのもと、新たな調査によれば、20-34歳の4分の1以上がいまだ親と同居している」という調査報告を発表した。1996年以来最も高い割合であると警鐘を鳴らしている。同紙に掲載された国家統計局の調査によれば20-34歳で親と同居している若者は、96年の270万人から2013年の330万人へと上昇しており、この数字は同世代の若者の26%に該当する。ちなみに日本のこの世代での親との同居率は45%である。

 

イギリスの大学への進学率は、98年の教育改革法によるナショナルカリキュラムの導入、92年の教育法による旧来の大学と総合技術専門学校との統合により上昇した。これに対して、2000年代に生活費給付奨学金は給付型からローンへ変更され、授業料が導入されたことにより、卒業後の就職状況が良好ではない時勢においても増大する借金を抱えることになった学生は、両親の家に戻ることを余儀なくされている。さらに、不安定な労働市場のもとで、多くの若者は家賃や住宅ローンの頭金支払いが困難となり、特にパートタイムや有期雇用にある男性は、実家にとどまることになった。鉄の女とされるサッチャーは1980年代に公営住宅購入権を導入、その後30年にわたって250万戸の公営住宅が減額された価格でその移住者に売却された。こうした状況のもとで公営住宅の割り当ては、子どもを持つ家庭、妊娠している女性、ホームレス世帯が優先されている。

 

2004年には25-34歳までの世帯の24%が民間賃貸を利用していた。これが2014年には46%に上昇、同時期にローン支払中の持家世帯は54%から34%への下降した。この10年で急成長している民間賃貸では、これまでのように学生など移行過程にある人だけではく、持家取得が困難となっている情勢から、子どもを持つ世帯の利用が増大しつつある。

 

2014年にOECDが発表した調査レポート「格差と成長」でトリクルダウン経済の拒絶と富裕層への高い課税という主張は、ボトムアップの政策を実現させる政治が重要となっていることを示唆していた。上手く機能しなくなった新自由主義から決別し、分配政策を見直す政治勢力が登場した。こうした政治勢力は、学費の支払い、卒業後の就職難、高額な家賃に直掩している若者の強い支持を取り付けている。彼らの最も大きな政治スローガンは「アフォーダブルな賃貸住宅と供給に向けた住宅政策の再構築」である。

 

2014年4月、イギリスのメイ首相は6月に総選挙を実施する意向を表明した。これを受けてイギリス労働党党首のコービンは、マンチェスターでのキャンペーンにおいて「第一優先課題は、住宅危機への対応であり、社会的にアフォーダブルな家賃の公営住宅建設と民間賃貸への適切な規制である」と表明、住宅は、持家を所有できず、高騰する家賃と苦闘している賃貸世代にとって中心的な問題であると語っていた。ここでいう「社会的にアフォーダブル」とは、公営住宅が縮小するなかで、その割当てが、子どもをもつ家族、妊娠している女性、ホームレス世帯が優先されている現状から、賃貸世代にもアクセス可能な社会住宅へと変革していくことを意味している。

 

コービンの労働党が総選挙にむけて発表したマニフェスとでは、高等教育について保守党のもとで1)大学授業料が3倍の年間9000ポンドに上昇したこと2)生活費給付奨学金は廃止されローンとなったこと3) 卒業する学生は、平均4万5千ポンドの負債を抱えながら就労を開始しなければならないことが指摘され、給付型の奨学金の再導入、授業料の廃止が主張されている。また、民間賃貸については、1)家賃規制2)借家人に仲介料を貸すことの禁止3)劣悪な住戸を回避するための新たな住居基準の導入4)18-21歳への住宅手当廃止の撤回が、公営住宅については1)RTB(公営住宅移住者が当該住宅を購入し、所有できる権利)の棚上げ2)政府による自治体の建設休止を解除し、30年間にわたる大規模な社会住宅を供給することが明記されていた。

 

冒頭で述べたように、こうした文脈による社会変革への期待は日本においても強まってきているが、ここで留意すべきは、賃貸世代への対応をめぐる政治状況は、住宅政策の様態によって大きく異なる、という点である。たとえばイギリスとアメリカのジニ係数は2013年時点でそう変わらないが、住宅手当の対GDP支出比率や、その受給率において大きな差がある。住宅手当の対GDP比は、13年時点でイギリスが1.45%と他のOECD諸国と比べても高水準なのに対し、アメリカはわずか0.27である。

 

イギリスは多くの貧困世帯に住宅セイフティーネットを充足させようとしてきたため、幅広く住宅手当が受給されている。就労しているワーキングプア、求職者手当の利用者、生活支援手当の利用者、年金クレジットの利用者、就労できず所得補助に依拠している利用者などである。一方アメリカでは、貧困世帯が多いにも関わらず、住宅手当はentitlement program(あるニーズに対して受給資格をクリアすれば、予算の上限に制約されることなく受給しうる社会保障制度)になっていない。

 

住宅手当を国際比較の観点から長年研究しているピーターケンプは、「遅れた福祉国家」と呼称されている南ヨーロッパ諸国(ギリシャポルトガル、スペイン、イタリア)について、国の制度としての住宅手当の不在を指摘している。その理由として、1)広範囲な社会保障システムが未発達なこと2)そうしたシステムに代替する家庭支援ネットワークに過度に依存していること3)かなりの若年者が30歳まで両親の家に移住していること4)自力による持家所有が支配的であることを指摘している。南欧以外のヨーロッパ諸国においても、持家率が6割を超える国は少なくない。しかしそれらのほとんどは、今なお10-20%ほどが公的な住宅に居住している。一方、ギリシャ、イタリア、スペイン、ポルトガルの持家率は6-7割に達しているのに対し、公的な住宅の居住率は、それぞれ1%、5%、2%、8%と過少である。ちなみに日本の公的な住宅への居住率は5%である。

 

すなわち、戦時中の家賃統制を戦後も継続しながら社会住宅建設を推し進め、社会住宅の家賃上昇とともに低所得階層を対象とした住宅手当を導入、この住宅手当は民間賃貸にも適用されていくという「物への助成」から「人への助成」への転換の経路を、南欧や日本は経ていないということを、これは示唆している。

 

収縮する中間層が持家取得にゆきづまっている点で、程度の差はあれ日本とイギリスは共通している。ここで留意すべきは、イギリスの場合、トリクルダウンの住宅政策からボトムアップのそれへの転換には、新たな財政支出を必要としないことである。上昇する家賃と、停滞する賃金という状況が継続するならば、その差額を補塡しようとする住宅手当は拡大し、財政政策を圧迫することになる。これに対してコービンから影の住宅大臣に任命されたヒーリーは「現状では今後5年間における住宅手当への政府支出は累計1200億ポンドにのぼり、そのうち500億ポンドは民間家主に消費されるが、一方で今後5年間での新たなアフォーダブル住宅の建設に必要な投資資額は50億ポンド以下にとどまる」と彼は推計している。さらに、こうした状況を改革する労働党の抜本的な住宅政策について、「低家賃住宅建設への公的投資は、住宅手当の支給を減少させ、長い目で見れば納税者に利益をもたらす。労働党は20年までに毎年10万戸の新たな公営と住宅協会の住宅を建築し、その投資は住宅手当を節約することで十分に補填できる」との考えを説明している。

 

一方、「物への助成」から「人への助成」への経路を経ていない日本では、ボトムアップの住宅投資への転換をしようとすると、新たな財源支出を伴う。パラサイト問題、民間借家への若年転読世帯の滞留という進退減少を放置すれば、かれらの多くは単身のまま貧困世帯へと移行、そのツケは生活保護費のさらなる拡大へと繋がっていかざるをえない。若年層も入居できる社会住宅、ワーキングプアなどが社会手当として利用できる住宅手当の導入は、政府の財政負担を増大させるとしても、未婚若年者のカップル形成を容易にし、かれらが共稼による税の納入者となることで住宅への投資は回収され、結果として実質的な財政負担を軽減することになる。

 

日本の若者が直面している問題状況は、イギリスのそれと類似しており、その活動は、住宅政策の再構築を要求する欧州の社会運動と共鳴している。若者の負担を軽減させるため、また女性の出生率を上げるために、今の日本に必要なのはボトムアップ政策としての住宅政策ではないかと考える。

 

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