Nextepisode’s blog

院生(M1) 専門-開発経済/国際関係

空き家問題を考える

近年、空き家問題が一層と深刻化してきている。その象徴的なデータは2014年に総務省が公開した全国の空き家数820万戸という数字だ。この数字は私を含め、多くの国民に社会的な衝撃を与えたことだろう。このまま指数関数的に空き家問題が深刻化していくとなると、15年後の2033年にはおよそ3軒に1軒が空き家になる計算だ。例えるなら、集住住宅で、自分の家の右か左の家は空き家ということになる。ではなぜこのように空き家の数が増加するのであろうか。

 

一般社団法人住宅生産団体連合会のホームページに目を通してみると、住宅建築1000戸あたりの経済波及効果は持ち家の場合で住宅投資額250億円に対し、耐久消費財を始め、幾つかの需要を掘り起こし、517億円となっている。言い換えれば、家を購入する人がそれに250億円の投資をすれば、それが倍以上の517億円の消費に繋がるというわけである。厚生省はかなり以前から少子高齢化を予測していたにも関わらず、この甜言蜜語に住宅は止まることなく建設され続けてきた。2011年に起きた東北大震災で我々が目にしたのは、耐久性に欠け、跡形もなく崩壊した家々であった。実は2017年の国土交通省の資料によれば、現在、人が居住している住宅ストックは日本全国で5210万戸あるのだが、新耐震基準前に建築された住宅は900万戸だとされている。単純計算で、ある地域で地震が起きた時、5軒に1軒の家は揺れに耐えられず崩壊する危険性が大いに考えられるということだ。

 

我々の生活スタイルの変化もまた空き家問題を一層に加速させていることだろう。少子化問題についてここで深く紐解くことはしないが、少子化で子どもの数が減少している日本では必要な家の数も減る。例えば、一人っ子同士が結婚すれば、それぞれの親の家のうち、どちらかは不要になる。高齢者が以前よりも長く生きるようになり、相続時期が遅くなっているために、相続時点ではすでに子どもが住宅を取得しているケースが増え、親の家が余るようにもなってきた。一昔前は、自分の持ち家を持つことが一つのステータスと考えられていた。就職や結婚を機に都市近郊で家を購入した団塊世代の親の家が、日本の至る所の地方で空き家になってきたのだ。現在は、空き家問題として、地方の空き家が特筆して問題視されるのだが、近いうちに、都市近郊でドーナツ状に、その団塊世代の家が空き家化していくだろう。私の住む関西では、大阪や京都などの経済力のある府県でも、ハブ駅から2-3駅電車に揺られると、そこは門前雀羅になりつつある。

 

その他の要因としては、大都市への人口流入を是正出来なかった政府や、地方の魅力を十分に宣伝出来なかった政府や行政機関の責任がある。これほどまでに地方創生という言葉を掲げ、人口をどうにかして地方に逆流入させようとしてきたのだが、その声は国民には十分に届かなかった。都市に移住することと、地域に留まること、その双方にpros and cons(メリットとデメリット)があるのだが、都市に移住を考えている人たちに十分な地方の魅力を発信できず、都市へ逃がしてしまったことは明らかに空き家問題を加速させた。

 

とは言いつつ、空室率では大都市でも顕著だ。現在、東京23区の空室率は34%、神奈川と千葉では35%を超えてきている。空室率の高い地域の共通点として、最寄駅から徒歩10分以上の位置にあるということだ。現在、人が部屋の契約をする際、一番に考慮する点として駅から徒歩何分の位置にあるのか、が最も重視されるという。かくいう私も、賃貸を探すときには、部屋の広さや築年数は妥協しても、駅からの距離は妥協しなかった。担当してくれた不動産の職員の話によると、やはり駅から離れている地域は例え安く綺麗であっても、空室率は高いそうだ。

 

ここまで述べてきた幾つかの要因が、空き家問題を生み深刻化させていると私は考えている。少子高齢化社会、東京オリンピックがあるにせよ、その効果は限定的であろう。我々はこの空き家問題にどう対処していけるのだろうか。

 

行政機関が空き家を活用したいと考えても、立地や建物の状態、改修費用などを考えると、収益ベースに乗せられる建物は少ないという。北海道の夕張市もこの点でどんどん過疎化していった。人の多い都会では収益を見込める活用が十分に可能なのだが、立地が悪い都市部や地方部ではどのように集客を見込めるのだろうか。この場合は、建物としては、「わざわざそこへ行く必要がある場所」を作るべきであろう。具体的には、介護施設などの福祉的な建物や住宅困窮者向けの建物を建てるべきであろう。このような目的であれば、公益性優先の利用が現実的だ。地域によっては、まちを活性化させるための行政主体、社会性優先の活用も考えられる。

 

賃貸住宅が空き家化する要因としては、改修費用がないなどという実際的な問題がある。自宅を貸したり、売ったりという発想を持っていない人も多い。住宅に家族の思い出がそのまま残されていたり、仏壇が置かれているという理由で片付ける気持ちがなく、使わない家でもそのままに放置してしまう人もいるという。法的な緩和政策も必要であろう。例えば、現在都市部では急速なホテルの建設ラッシュが続いている。東京オリンピックに向けてホテルの絶対数が足らないのだ。であるならば、海外からの観光客を空き家に滞在させれば良いことだろう。例えば、Airbnbという使っていないアパートや自宅の一室を旅行者に日割りで貸すというサービスが海外ではよく使われている。だが日本では、賃貸を契約して、そこを第三者に住まわせて利益を得るということは、又貸しと言われ禁止されている。この又貸しを緩和させることによって、不動産はアパートの契約件数の増加が見込まれるし、契約者は副業やお小遣い稼ぎとして利益を得ることができ、何より旅行客に対し、通常ホテルで宿泊するよりも安い料金で寝泊まりさせることができる。時代の進む速さに現行法が追いついてきていないという状況である。ここは真摯に議論して緩和へと踏み出すべきである。

 

数日前、ニュースを見ていると、農業や銭湯などの衰退産業と言われる業界への取材があった。商店街の再開発でも、若い世代が古い味わいのある商店街を個性と感じ、それを武器として残したいと考えても、実際の所有権を持っている親世代は、その価値を認められず、立て替えて新しくすることを良しとする人が少なくない。地域への愛着という問題では逆の現象もある。長年、その地域に住み続けてきた親世代は、我が街をなんとかしたいと考えるが、その血を離れた子ども世代はそうした愛着を持たないこともある。家に思い入れを持たず、売れるのなら売る、あるいは地域のニーズを無視したアパートを建設するなど、空き家の増加に寄与する選択をしている例も少なくはない。

 

第3次産業革命と言われるインターネットの普及で、我々は住宅の情報を比較検討して選ぶことが容易になった。当然、何も考えずに建てられた家は選ばれなくなる。半世紀前には、建てれば貸せるという時代があったのだが、今はそうではない。今の時代は、誰に、どう貸す、といった2点を考えなければ展望は開けない。人口動態を見れば、自ずと余ることがわかっていたにもかかわらず、住宅建築を続け、質の向上は図らず、都市への一極集中は是正できず、短期的な利益追求で、あらゆることを先送りしてきたツケが、空き家問題として社会問題となり顕在化した。

 

以上見てきたように、空き家問題は社会にネガティブな印象を与えている。その一方で、画期的なやり方で暗中模索ながらも着実に建物の使い方の多様性を進めている人たちもいる。例えば、シェアハウスもその一例であろう。私の友人は京都のシェアハウスに住んでいる。一つ屋根の下、3つの部屋で、一人頭2万5千円の家賃を毎月払い、水光熱は折半している。そうすることで一人暮らしをする場合と比べ、安く済むことができ、また複数人で共に生活することにより学びも多いのだという。そこはもともと、空き家になっていたため、平均的なシェアハウスよりもさらに低価で借りることができているそうだ。これは私の友人の例だが、空き家を利用したシングルマザー向けのシェアハウスや、男女共同のシェアハウス、3家族共同で住むシェアハウスなど、シェアハウスといえども、多様性はかなり進んでいると言える。その他にも、イタリアンレストランをカフェにしたり、住宅をオフィスにしたり、風呂屋にスパを隣接させたりと多種多様な活用事例がなされている。このように空き家の活用が地域に貢献するとの理解が広まれば、活用を考える所有者が増えるのではないかと考えている。一方で先ほど挙げた幾つかの画期的な取り組みは、都市部で行われているものであって、知らない人と同じ屋根の下で生活をしたり、もともとあった建物を違い目的で使用したりすることに対し、地方で暮らす人たちにとってはハードルが低くない。そのハードルを低くし、少しでも多くの人に空き家使用の多様化を理解してもらうには、やはり空き家の活用で、個人の利益以上に、社会の役に立つことを広くハイライトしなければならないだろう。

 

空き家問題が日本の抱えるさまざまな問題、また経済システムの歪みの結果として生まれたものと考えるのなら、その解決策も、さまざまな分野の枠を超えて取り組まなければ導き出せないであろう。空き家問題に限らず、今日の社会問題の多くは、それぞれの蛸壺の中で、明日、明後日に役立つ施策を考えていて太刀打ちできるものではない。より広く、未来を見据えた視点が求められているのだろう。

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