Nextepisode’s blog

院生(M1) 専門-開発経済/国際関係

障がい者は隠すべきという社会の空気

高校に入るまで、関西でもとりわけ田舎の町で私は育った。地域に住む住民は皆知り合いで、それこそ、季節を問わず近所の方が家庭菜園で採れた野菜を私の自宅の玄関に置いて帰っていくような町であった。一度地域で何かが起きれば、瞬く間に周囲に伝播し、ここそこの家の事情は全て、地域に筒抜けであった。

 

私の家の隣には、脳に障害を抱える6つ歳上の男性が住んでいた。症状は癲癇に近いようなもので、毎日のように夜になると奇声を放っていた。中学に入ってすぐだっただろうか。テレビを観ていると「癲癇」の症状の説明がされていた。翌日学校でたまたま前日のテレビの内容が話題になり、頭の良い男子生徒が「穀潰し」と言っているのを耳にした。「穀潰し」の言葉の意味がわからなかった私は自宅に帰り、母親にこの言葉の意味を聞いた。母親は私に詳しい言葉の意味は伝えず「あなたは絶対に使ってはいけないよ」と小さな声で返事をしてきた。母親の表情から、私はそれ以上は聞かなかった。

 

その男性は、地域の障害者施設に通っていた。数年経って、地元を離れた私に母親から電話が入り、その男性が亡くなったと知らせを受けた。参列者の少ない、人目を避けるような葬儀だった。

2017年12月25日、大阪府寝屋川市において、精神障害を抱える33歳の娘をプレハブに10数年間隔離し、凍死させたとして、女性の両親が逮捕されたニュースが目に飛び込んできた。プレハブは内側からは鍵が開けられない仕様がされていて、複数台の防犯カメラが設置され、最近は毎日1度しか食事が与えられておらず、遺体発見時、女性の体重はわずか19キロしかなかった。

 

この事件を聞いて私はすぐにアメリカで起きたJaycee Dugardの誘拐事件を思い出した。学校へ登校途中の11歳の女性児童が誘拐され、その後18年間、倉庫で監禁された事件である。だか今回の一件は、加害者が実の両親だということで、私の知る限り、日本の歴史上類を見ない事例である。

 

口にするのも恐ろしいことだが、もしも「被害者は障がい者だから、自分とは関係がない」と思っている人がいたとするならば、そう思わずにはいられない。さらに言えば、あの当時、クラスの男性が、私の隣に住む男性に「穀潰し」と切り捨て、「半人前の命」とどこかで思っているのだとしたら、その無関心こそ悪意であり、差別ではないのか。

 

私は祖父母から、働かざるもの食うべからず、と何度も教えられた。私世代の人間からすれば鼻で笑い返せる言葉ではあるが、その考えが当たり前だった過去が日本にはある。その男性の他にも、何人か似た症状を抱えた子どもがいたが、月日とともに彼らの話題は消えていった。嘘か本当か「知恵遅を押入れに閉じ込めてそのままにした」などと聞いたりもした。地域にとって都合が悪いだけではなく、その家にとっても忘れたい過去であったかのように。

 

日本の安倍総理を筆頭とする安倍政権は、経済成長率を上げるために生産性の上昇に取り組んでいる。しかし、経済効率化の先に「生産性のない人間の切り捨て」が進んでいる。

 

女性の両親は女性が精神障害を抱えることに何か後ろめたさがあったかのように思える。精神障害を抱える娘の介護に鬱積があったのかもしれない。もしも、ある一部の施設の職員のみではなく、日本国民全員で障がいを抱える子どもがいる両親や彼女達への理解が十分であり、国としても真摯に彼らを社会の一員として歓迎する態度があったのなら、今回のような事件は防げたのかもしれない。そう思うと、胸が痛む。

 

f:id:Nextepisode:20171228140002j:image