Nextepisode’s blog

院生(M1) 専門-開発経済/国際関係

あまりにも無頓着過ぎないか

 

2017年も間も無く終わりを迎える。この一年を俯瞰すると、日本は何度か選択を迫られる機会があった。その中で5月19日に強行採決された共謀罪について書いていきたい。

 

2017年5月19日、衆議院法務委員会で共謀罪強行採決された。中継で流れた国会の様子は、まるで中学校の学級崩壊のように思えた。大きな声と人数で押し切れば、どんな乱暴な意見でも通る国になり下がった瞬間であった。

 

共謀罪はそもそも、277ある行為を未遂の状態で逮捕できる異例の法案である。それなのに、審議にかけた時間はたった30時間超。「疑わしきは罰せず」の原則どころか「疑わしき」を積極的に逮捕しかねない法案の審議に費やす時間としてはあまりにも短くはないか。だが、問題の大きさに比べて運動の火種は大きくはなく、採決から半年を過ぎた今では、ニュースではほとんど触れられずに完全に鎮火に向かっている。

 

上から「こう決まったから」と言われたら、納得していないのに服従することに日本人は慣れてしまっている。あまりにも物分りが良すぎないか。それが「奥ゆかしさ」という美意識だという人もいる。

 

メディアの姿勢もそうだ。NHK共謀罪についての賛成派と反対派の代表的な意見を取り上げた中に反対派は「共謀罪が何か知らない」という前置きがあった。公共放送なのに、国民をミスリードする情報操作を行い、政府の広報のようになっていた。むしろ共謀罪について詳しく知れば、賛成できなくなるはずであり、「共謀罪の内容を知らない人間のみが反対する法案」というイメージコントロールは非常に悪質過ぎはしないか。

 

今後研究者を目指す人の態度についても触れたい。今回の法案の採択を受けて、少しでも反対の運動や姿勢を示した人はどれくらいいるだろうか。またその運動や姿勢は現在も続いているのだろうか。私は友人達に「SNSなどの媒体を使って共謀罪反対の活動を行わないか」と声をかけた。だが彼らの反応は鈍く「政治的な発言は控えるようにしている」「意識が高い人間に思われるのは避けたい」と言う。けれども、みんな学者になりたいと思ってる。

 

学問で身を立てようとするとき、机の上の勉強と実社会が離れていることがあり得るだろうかと疑問に思った。研究者は、ただ知識があればいいのではなくて、それを社会へ還元することが求められているはずだ。行動を起こさず、「後は野となれ山となれ」という諦め姿勢と、本当は色々考えているのに、何も考えていないように装う研究者に、一体何の価値があるのだろうか。

 

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