Nextepisode’s blog

院生(M1) 専門-開発経済/国際関係

電通にみる男尊女卑社会

 

電通に勤務をしていた若手女性社員が社員寮から飛び降り自殺をしてからもう2年が経とうとしている。当時新聞やニュースではすぐさま「残業100時間」という言葉が並び、挙句、労働時間の多寡についての議論に移行していった。これに対し、武蔵大学の教授がnewspicksで不適切な発言をしたとして謝罪をしていた。

 

私は、議論が明らかに明後日の方向へ行っているのに、誰もそれを是正しない不気味な雰囲気を感じた。意図的なミスリードか、あるいは恐ろしく感度の低い人たちなのか、その両方が入り乱れて、本質が見えない混迷状態に陥った。

 

その女性社員は自殺する前にSNSで「私の仕事や名前には価値がないのに、若い女の子だから手伝ってもらえた仕事。程度の差はあれど、見返りを要求されるのは避けては通れないんだと知る」と書き残していた。

 

もしも、ここに性の問題を嗅ぎ取れなかったとすれば、日本のマスコミは何のためにあるのだろうか。

 

個人的な経験を言えば、日本の社会は「女のくせに」という言説がまかり通っている。「さすがにアダルトビデオに出てくるような顧客こそいないが、業務に関係のないセクハラ、モラハラを受けることは多々ある。我慢をすれば”耐性がある”と勝手に判断されてしまう。総じて女性は”働く男性のコンパニオン”と位置付けられる」と言っていた友人の言葉を今でも鮮明に覚えている。

 

言うまでもなく女性が”戦う男を慰める存在”だった戦中の負の遺産として慰安婦がある。安倍総理が謝罪を毛頭考えていないのは、女性の性的自己決定を犯しても、金を払えばそれが相殺されると考えているからであろう。日本の男性の認識は、戦時中から現在までほとんど何らの進化もみせていない。

 

そして今回、元電通の女性社員が過去に電通で受けたセクハラを暴露した。暴露内容が全て真実だということは、加害者の謝罪コメントを見ると明らかである。だがこれは世界的大企業で起きたという事情で問題が大きく取り上げられているだけだろう。小さな会社でも、日本の至る所で男尊女卑が正当化され「男女平等」という言葉だけが一人歩きをしている。ジェンダーの問題について世界の基準に達しない幼稚さを、巧みな情報操作で論点をすり替える男社会に、我々は疑問符を投げかけなければならない。

 

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