Nextepisode’s blog

院生(M1) 専門-開発経済/国際関係

パリの同時多発テロを振り返る

 

今年ももう9月に入りました。時間が経つのはこんなにも早いのかなんて感じつつ、2年前に起きたパリの同時多発テロからもう2年が経とうとしています。

 

パリの同時多発テロの直接的原因はシリア領域内のイスラム過激派「イスラム国」に対するフランスの空爆にありました。テロの実行犯の人物像が次第に明らかになるにつれて、そこには二つのテロ事件の共通性が浮かび上がって来ました。それは欧州における貧困と格差の問題であり、そのような社会に適合できない移民第ニ、第三世代の弱い若者達が過激派となって暴走した悲しき未路でした。

 

テロの首謀者であるアブデルハミド・アバウド(パリ郊外での制圧作戦により死亡)はベルギーの首都ブリュッセル郊外のモレンベーク市の出身です。この町にはフランス国籍の実行犯の兄弟も住んでいたことがあります。人口約10万ほどの町には、2004年マドリードでの地下鉄爆破テロ、3年前のブリュッセルユダヤ人博物館の殺人事件の実行犯などが住んでいたことで知られています。この町の8割の人がイスラム教徒であり、近年では若者の失業率が5割にも達する貧しい街で、武器取引も容易な街でも知られています。

 

こうした大都市周辺の貧困と治安の悪い地域は「荒れる郊外」とも揶揄されたりしますが、そこで育った外国人、移民二世、三世の子供たちの中には軽犯罪を繰り返す子供も多く、収監された刑務所などでイスラム過激派組織と共に生活を共にし、洗脳され、戦闘訓練を受ける。

 

ヨーロッパではどの国も例外なく経済低迷期に入っている。そのような経済の下では、社会に溶け込めないイスラム教徒の少年は増えていく。実際、パリ同時多発テロの犯人のうち5名はフランス国籍でした。こうした地元出身のテロリストのことを「ホーム・グロウン・テロリスト」と呼びます。パリ同時多発テロでは「イスラム国」がまた犯行声明を出していましたが、今回の実行犯はそれとは毛色の異なる、社会統合プロセスの中の脱落者と言えると思います。

 

2012年の大統領選挙前にも連続銃撃テロがありました。犯人は23歳にアルジェリア出身の移民の子供で、フランス南部のトュールーズのイスラム原理主義者が多い地区の母子家庭で育ち、軽犯罪を繰り返し、拘置所イスラム原理主義に感化されて、その後アフガニスタンに旅行していました。

 

3年前のブリュッセルユダヤ人博物館でイスラエル人夫妻らを銃撃殺害した犯人、パリ同時多発テロの首謀者もまた似たような経歴を持っていました。首謀者のアバウトととも死んだ従妹の26歳の女性は犯罪歴や中東への渡航歴はなかったものの、子どもの頃から不幸な家庭に育ち、飲酒と麻薬に溺れ、ホームレスの生活をする内に、過激派の思想に染まりました。彼らには自分たちの住んでいるヨーロッパ社会に溶け込めず、貧しく劣悪な家庭環境で育ち、生活が安定せず社会から阻害され、非行に走り、イスラム過激主義に染まっていったという共通点があります。フランス国内だけでもこのような「テロの容疑者」は一万人以上いると言われ、そのような人達がシェンゲン協定の上で国境を越えて移動しているのが現状です。

 

1970年にはフランスには20のモスクしかありませんでしたが、今では2200以上のモスクがあります。またミッテラン社会党政権は全国移民評議会、移民のための優先教育地域などを設置しました。しかし、実際にそれらの政策が上手くいっているのかといえば、必ずしもそうではないのです。

 

パリの同時多発テロはその規模が大きかったがゆえ多くの人達の記憶に深く浸透していますが、小規模のテロであれ実行犯の経歴には程度の差はあれいくつかの共通点を見出すことができます。無辜の命を奪う凄惨なテロを根絶するために、我々が出来ることは0ではないと思います。

 

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