イースタリンの逆説から幸福を考える
日本の経済成長率は近年鈍化している。ただこれはなにも日本のみが直面していることではなく、先進国ではほぼ例外なく全ての国で経済の衰退をみることができる。
多産多死-多産少死-少産少死という人口動態の3つの波を経て、先進国では年金問題、人口の高齢化、出生率の低下など課題が顕在化している。
今回は安倍ミクスの3本の矢の一つである「成長戦略」について一言述べたいと思う。
2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙で自民党が圧勝し、26日に第96代内閣総理大臣として安倍が選出され、第2次安倍内閣が発足した。
安倍首相は当初から社会福祉や格差是正に目を向けることはなく、ただひたすらに経済成長を目指してきた。
だが経済成長を経済政策の最大の目的として追求する安倍首相の考えに私は同調することができない。
イースタンの逆説という言葉を聞いたことがあるだろうか?イースタンのパラドックスとも称されている先進国に共通して現れる傾向のことである。
一言で言えば、ある時点までは所得上昇に相伴って人間の幸福度は上昇するのだが、それ以降は所得が上昇しても人間の幸福度は上昇しないどころか、むしろ低下する場合があるという現象のことである。日本でも80年代から25年間一人当たりの実質GDPは上昇し続けたのだが、その当時に行われた世論調査では、生活満足度は同じ時期に減少傾向にあり、GDPの上昇と人々の幸福度に乖離が見られた。日本でもこのイースタンの逆説を見ることができる。
このイースタンの逆説から言えることは一つである。それは資産や所得の上昇が必ずしも人々の幸福度の上昇に繋がらないということで、所得や富の上昇は人間の幸福を支える構成要素のうち、ごく一部にしか過ぎないということである。
人間の福祉を支える構成要素は物質的な条件と非物質的な条件とがあるが、所得に関して言えば、物質的な条件のうち、フロー経済資源の一つに過ぎない。実際には人間の居住条件が福祉水準にも大きな影響を与えるはずであるが、住宅のようなストックがいくら豊かであろうが、それはGDPには反映されない。
言い換えれば、経済成長(GDPの伸び)は必ずしも人間の福祉の唯一の指標ではなく、そこから多くの重要な要素が抜け落ちているということである。
経済成長と共に人々の物質的な豊かさは上昇していった。都会では数分おきに電車が来て、田舎では殆どの人間が自家用車を所有し、皆がスマホを持ち、フリーにネットにアクセスすることが出来るようになった。
その一方で人々の要求が物質的なものから非物質的なものに移るようになり、それが"生きる"においてさらに重要な役割を果たすようになる。
こうして考えてみると、安倍首相の目指す物質的な経済成長から国民の不満が募るのは必然で、幸福度はむしろ低下してゆく。
経済成長の生贄に福祉が軽視され弱者には厳しい社会になってしまった。今の日本人が描く幸福と、戦後の日本人が描いた幸福の間には明らかな違いを見ることができる。
難しい時代だからこそ、非物質的な幸福を追求する日本であってほしい。