Nextepisode’s blog

院生(M1) 専門-開発経済/国際関係

ステレオタイプ化された誤解

 

偏差値の高い大学に進学すると、偏差値の低い大学に比べて良い教育が受けれると思っている人がいるのだが、それは誤りである。これまで日本と国外の幾つかの異なる大学に足を踏み入れてきたが、確かに後発国の大学では大学によって受ける教育の質に明らかな差があった。だが、日本の大学に至っては殆ど差はないと感じた。

 

難関大学に進学するとその他の大学に比べ、素晴らしい教授がいたり、素晴らしい教育が受けれるというのは、実は誤解であると私は考えている。

 

確かに京大や東大は予算が潤沢だから環境設備に関しては恵まれていることは事実である。だが少なくとも学部レベルではその環境設備の恩恵を殆ど受ける機会はない。もし必要だと思うなら、大学院から東大や京大に進学すれば良い。(学歴ロンダ目的で院進学を目指す学生は救いようのない馬鹿だとは思うが)。

 

教授に関して言えば、殆ど全ての教授が高いレベルの教養と専門性を持っていて、考え方や研究に対する意識の違いはあっても、この教授は優秀だというのは個人の主観でしかなく、実際どの教授も知力という点で大差はない。

 

ではなぜ人材の輩出に差が出るのか?

 

答えは簡単で、難関大学は優秀な生徒を集めているからである。それゆえ、もし講義の内容が理解出来なくても周りの学生に聞けば解決できるし、就職活動で躓いても周りのコネで働き口が見つかったりする。

 

裏を返せば、自ら問題発見と解決ができ、考えて行動することができ、また、価値を生み出す能力が備わっているのであれば、大学にはそもそも進学する必要さえないように思う。

 

結局のところ出来ない人間は何処にいても出来ないし、出来る人間は場所を選ばないというのが私の実感としてある。

 

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