Nextepisode’s blog

院生(M1) 専門-開発経済/国際関係

大学進学は未来への投資ではない。

 

大学進学は未来への投資です。大学へ進学した場合と進学せずに就職した場合、生涯年収でこんなにも差があるのです。日本の大学の授業料は高いです。しかしこの生涯年収の差からわかるように、君たちの人生を長期的に見た時、こんなにも生涯年収に差が生まれるので、大学の授業料は高すぎるということはないでしょう。

 

これは当時私が高校生だった頃、学年集会で進路担当の教員が学生に対して話したものである。

 

中卒、高卒、専門卒、短大卒、大卒、大学院卒、配布されたプリントには学歴別に生涯年収が比較されていた。その際感じた得体のない疑問が数年経った今でもまだ頭から離れない。

 

大学へ進学した場合としなかった場合、生涯年収に差が生まれるというのは周知の事実である。私は今大学4回生になったのだが、今になって”自分の適性がわからない’’ ’’自分の就きたい職種がわからない’’、そのような言葉を発する学生の大半は、大学進学をしなかった場合の生涯年収の差のみで大学への進学を決断したと感じている。

 

これも周知の事実だが、現在日本の経済は鈍化し頭打ちになっている。日本の経済の先行きは曖昧模糊で世帯収入の低下が止まらない。一方で、依然として日本の大学進学率は高い。これはジニ係数からわかる通り、所得の中間層がなくなって二極化した社会でますます学歴が意味をなしてきていることにあるのだろう。

 

だが、大学進学がそのように捉えられていることに私は悲しみを覚えるのだ。

 

というのも私が思うに、大学進学というのは、何も考えずにただ勉学に勤しむことができる。いろんなことに挑戦する機会がある。自分にどんな才能があるのかを見極めることができる。そういったことに挑戦する時間がある、そこに一番の価値があるように思うのだ。

 

私自身経験だが、この3年間多くを学び挑戦できたと感じている。1回生の時、アジアで置屋の実施見聞調査を行い、インターンをし、それがきっかけで翻訳や通訳業に関わらせていただく機会ができ、2回生ではそれがリンクしてパリで国連の会議に出席し、OECDのフォーラムにも出席でき、春休みはアフリカのユネスコで3ヶ月環境課でインターンをした。3回ではインドネシアの国際NGOで3度目のインターンをし、現在は院試に向けて準備をしている。

 

もちろんこのような経験が直接的に将来に生かされるかといえば、面と向かって首を縦に振ることはできないし、物理学者になりたいと言っている友人の努力が結果的に叶わないまま終わってしまうかもしれない。だがそのような挑戦こそ大学進学の一番の意義と捉えるべきではないだろうか。

 

つまり、大学というところは入学した学生の成長量が未知数でわからないというところに価値があるのだと思う。入学時は英語が苦手だった友人が、今は外資系に絞り就職活動を行っていたり、埃が原因で幼少期喘息を患っていた友人が、大学に入り埃の研究をし未来医療に貢献しようとしていたりする。たしかにそのような頑張りが結果としてオーバードクターになってしまう可能性もある。だが、学生が挑戦をやめれば社会の進歩は期待できない。

 

この1年が私にとって大学で過ごす最後の一年になるだろう。私を含め、多くの若者がいろんな挑戦をする場として大学を大事にしたい。

 

 

 

 f:id:Nextepisode:20170522013813j:image