Nextepisode’s blog

院生(M1) 専門-開発経済/国際関係

日本国憲法が保障したものの大きさ

 

私の祖父は77歳になった。ちょうど幼少期に戦後を迎えた祖父は、言ってしまえば「日本国憲法と同世代」ということになる。思想・良心の自由を掲げる憲法のもとで、様々に表現されたものを見たり、あるいは自分で創作して発表する機会を得てきた世代だ。「長く共にいると空気のようになる」とはうまい喩えだと思う。人間にとって大切なはずの空気にも、特段感謝をしなくなるのだ。

 

制定から70年以上が経過した憲法も、今や「空気」になった感が拭えない、と祖父が言った。

 

祖父の父であり私の大祖父にあたる人は祖父が子供の頃、小さな出版社を営んでいたそうだ。しかし、治安維持法の毒牙に幾度も経営を阻害されたそうだ。だがその分、大祖父は表現することの意義深さを肌で感じた人でもあったという。「自粛しなければという雰囲気があるときこそ、しっかり自分で何を世の中に問いたいか考えなければいけない」。いつもそう言っていたそうだ。大戦から長い年月が経ったこの局面で、この言葉はことさらに重要になってきたように思う。与えられて当然の、空気のように考えられてきたあらゆる自由が、その濃度を希薄にしつつある。

 

科学技術の力で国民全体に広く縄を掛け、捜査機関が恣意的に対象を「犯罪者」に仕立てることができる危険な共謀罪が成立してしまった。表向きはテロ対策であり、国民から危険を遠ざけるためであるが、何を危険とするかは警察当局が決められる。科学技術が発達した分、監視された場合にプライバシーすべてを丸裸にされることは確実になった。多くの国民は「犯罪者に適用するのだから自分には関係ない」と考え、捜査の刃が自分の日常生活に向くとは思いもしない。

 

大祖父も何度か出頭させられたそうだ。そのたび、周囲の人々が少しずつ距離を置いていった。無辜の市民からすれば、連行されていく大祖父が本当に罪を犯したのかというよりも、警察から犯人と目されている人とは関わりたくなかったのだろう。数の力で法案を押し切れば、民主主義的な議論を否定することになりかねず、民主主義が崩壊していくはずだ。そしてまだ、十分に処罰対象とする犯罪も絞りきれていない。

 

驚くべきことに、GPS捜査が違法であると判断を下した最高裁に対し「裁判所は現場のことが何もわかっていない」と愚痴をこぼした捜査関係者の幹部がいたそうだ。星を上げるためなら人権侵害もやむなしと考える現場は、共謀罪が成立したことにより、捜査の権限は無限に広がってしまった。個人の表現が制限されない社会を作るのは、世論であってほしい。日本国憲法が保障したものの大きさを今更ながら、感じる。

 

f:id:Nextepisode:20180221015833j:plain

情報社会に生きるということ

 

仕事終わりの電車の中、何やら三人組の男子高生が話している声が聞こえてきた。「翁長さんの発言は支持できないね。実際のところ沖縄の人たちは米軍基地があって生活が成り立っているのだから」。私は「高校生でも政治についてしっかり考えているんだ」と関心したが、すぐに話題はドラマの話に移ってしまった。そして少し経つと話はオリンピックの話題に飛んだ。どうやら、政治やスポーツ、芸能などあらゆる分野を網羅できるサイトをスマホで見ているようだ。きっとその中の一人が見ている画面にたまたま翁長知事が画面に映し出されたのだろう。

 

若者は溢れる情報の海を泳いでいると言われるが、わたしは、水切り遊びに近いと思っている。ちょうど、川の水面をうまく瞬発力で石が渡っていくようなイメージだ。若者に手渡される情報は確かに多いが、瞬時かつ無意識に「要る」「要らない」を選別するのが日常になっている。彼らは翁長知事を「政府に楯突いているおじさん」というカテゴリーに入れて、それ以上は深く知ろうとしないし、誰も彼らに教えようともしなかったのではないか。だとすれば、ただ何となく「自分とは違う人」という印象だけがおぼろげに残ることになる。

 

翁長知事は、三代続く保守派の政治家の生まれである。彼は沖縄県自民党に身を置き、県議時代には辺野古基地移設推進の旗を振った。その当時について、国との交渉の中で、苦渋の選択であった2012年11月の朝日新聞のインタビューで答えている。

 

一見矛盾した行動も、奥深い政治の世界に翻弄されつつ信念を曲げないための処世術だったとみるべきだろう。まして、ネットニュースや新聞の小見出しだけを撫でるように見ただけで、世の中がわかるはずもない。また、ちょうど1年ほど前、高江ヘリパット建設に反対する市民に対し「土人」と暴言を吐いた機動隊がいたことが問題とされた。しかし概ねどのメディアも主語を「機動隊員が」としてあり、釈然としなかったことを覚えている。暴言を吐いた主体は、個人などではなく、国家権力であるとなぜ明示しなかったのか。

 

権力の中に、「沖縄で政府のやり方に異を唱える人間は自分たちとは違う」という根強い差別意識があり、それを誰も正そうとしないから、まだ20代の機動隊員の口からあのような差別的な言葉が出てくるのである。たまたまあの隊員が発言をしただけのことで、根本的な差別意識を共有している権力の存在が背後にあることを忘れてはならない。しかしそのような事件も、そこから得た教訓も、ただ情報が右から左に流れていくだけの世の中では「それを知っている」と瞬発的に判断したらそれ以上の何も人々は知ろうとしない。まして本土の人たちは、一度「関係ない」と思ったものを切り捨てて、自らの忙しい日常へ帰っていく。

 

そんな人々が「中央」と呼ばれ政治を動かすとすれば、マイノリティーが人並みに尊重されることなど、どうしてあり得ようか。

 

f:id:Nextepisode:20180220010349j:plain

表現者は自粛し、周囲は萎縮する

 

「これから配布する文章は世界で最も素晴らしいものだから、ぜひ知ってもらいたい」と担任の教師は目の前の生徒達に伝えた。これは今から50年ほど前、私の父が小学生だった頃の話である。先生は笑顔で、まるで面白いアニメや漫画を見るかのように、手書きのプリントを生徒たちに配った。

 

教育勅語」。私たちがどうあるべきかの道しるべだという。期待感があっただけにクラスの中には「なぁんだ」と露骨にげんなりする子もいた。最初は皆で音読をしましょう、それから立って大きな声で言いましょう、最後には見ないで言えるようにしましょう、担任の要求は増えていった。

 

一過性の教材で終わるかと思われた教育勅語は、とうとう前に出て暗唱するまで帰さないという強制力を帯びた。数週間で、何人もの生徒が見ないでスラスラ言えるようになった。誰しも書かれた文章に感動していたわけではない。単純に居残らされるのが嫌で、理不尽な教育と戦うよりも適応する道を選んだのだ。私の父も、違和感を感じながら、不自由さに吐き気がしながらも、身体は教育勅語を受け入れていった。

 

私の父が私が高校生の時に、東南アジア•中東•ヨーロッパへの放浪を許したのは「自ら選び取る」ことを提示したかったからだと言っていた。何を学び、何を深め、どう学ぶのか、それらは本来、他人から、ましては国家から押し付けられるものではないはずだと。

 

去年「教育勅語」という言葉が広く知れ渡り、運動会で日本を賛美する園児の動画が拡散した。それに関して安倍首相は「憲法教育基本法に反しない形で教材として用いることまでは否定されない」という答弁書閣議決定した。国民主権を否定しかねないものが、どうして憲法に反しないと言えるのだろう。父親の学生時代の嫌なニオイが露骨に漂う。

 

権力は常に「強制なんてしません」という顔をしてやってきて、息苦しい時代をあっという間に作る。父親の担任が教育勅語を配布した時と全く同じだ。いつの間にか判断能力を失う理不尽な状況を仕組み、そこから逃れたい人たちを従わせる。誰しも、個々は悪い人たちではないのに、一旦歯車となってしまったら間違った方向へ進む国家を止められない。

 

沖縄では「反基地」の運動をする人たち、東北では「反原発」を掲げる人たちが不当な扱いを受けている。表現者は自粛し、周囲は萎縮する不気味な時代になった。当たり障りのない行動が権力に最も喜ばれることを、皆が覚えている。

 

きな臭い時代になった、と嘆かわしい気持ちで私は空を見上げた。

 

f:id:Nextepisode:20180217125204j:image

子どもを最優先に考えた離婚


春の訪れを待ちわびながらちょうど去年の今頃、私は「夫婦断絶防止法」に関する講演会に参加した。この法案は、「離婚等の後も子が父母と親子としての継続的な関係を持ち、その愛情を受けることが、子の健全な成長及び人格の形成のために重要である」という理念のもと、「連れ去りを防ぐ法制の検討が必要」との見解から国会に提出され、今日に至るまで可決されていないものの、遅かれ早かれ可決される可能性が十分にある法案である。

この法案をめぐる講演会に参加した時、「温かい家庭こそ善」という同調圧力を感じずにはいられなかった。もちろん、家庭が温かい場所でなら素晴らしい。しかし問題は、その家庭が安らぎの場所ではない人が少なからずいるにもかかわらず、社会のどこかに彼らの居場所を作ろうと政治家が積極的にならず、「家庭の中で解決してください」とでも言わんばかりの態度であるということだ。

離婚は、言うまでもなく途方もない苦労を伴う。誰が好き好んで戸籍にバツを背負うだろう。参加者の一人が壇上で「私が離婚をした理由は、相手がギャンブル依存に陥り、DVによって生命の危険を感じたことにあります。まだ四歳だった娘とともに命かながら逃げてきた行為を”連れ去り”だったと言われてしまえば、私はこの法案によってどんな人間になってしまうのでしょうか」。

もちろん彼女は衝動的に離婚に踏み切ったわけではない。様々な機関へ通い、生活改善を試み、相手の両親とも話し合いの機会を持った。多くの離婚経験者がそうであるように、彼女の場合も、そこに至るまでに長い時間と深い苦悩があった。当然、”子どもの将来を最優先に考えた”。

そもそも、多くの場合親権者にならない父親を想定した面会交流の保障をむやみに行うだけで、、親子の断絶が防止できると考えるのも短格的である。講演会で聴いた話の中で最も驚いたのが、オーストラリアでは10年も前に親子断絶防止法が制定されていたことだ。だが「面会交流を行うほど良い」との理念があり、交流を重ねれば重ねるほど、非同居親が支払う教育費は減額される仕組みだという。さらに09年には、子どもとの面会交流中に父親から四歳の子どもが橋の下に落とされる事件が起き、DV夫の暴力癖と法制度によって幼い生命が消えた。

いたずらに親子を引き合わせることは、「幸せ家族」の保全にしかなりえない。人はそれぞれに事情を抱えて生きる。その個別的な事情に配慮を巡らせない法案が通れば、オーストラリアの失敗を繰り返すことになりかねない。蛇足ながら、この法案は、DVなどの実力行使になった際に必ず被害者になる女性の視点が少ないように思われる。

f:id:Nextepisode:20180216085621j:image

共謀罪の何が問題か

 

 今から2か月前、私は共謀罪強行採決されたことを受け記事を書いた。

 

nextepisode.hatenablog.com

 

多くの民衆の意を反して少数の権力者が強引に採決した法案は、我々にこの国の政治が腐敗していることを認識させた。本稿では共謀罪の危険性について、それをさらに敷衍し出来る限り簡潔に問題点を纏めたい。

 

私が懸念する問題点は主に五つある。第一は、「テロ等準備罪」の名称を掲げたからといって、共謀罪と実質的に同一の処罰規定を設ける根拠には全くならないことである。日本は国際的なテロ対策の条約および国連決議を全て実施しており、もともと処罰している準備的行為の範囲も多くの諸外国より広い。

 

名称にごまかされてはならないことは、どこに立法の必要性があるかを具体的に考えればわかる。殺人の目的で凶器や薬品などを準備すると、殺人予備罪が成立する。殺人予備罪で処罰できないテロ準備行為としてありうるのは、殺人の目的になく凶器や薬品などを取り扱う行為や、殺人の目的だが凶器や薬品などを取り扱わない準備行為ということになろう。それらの中で、爆発物取締罰則化学兵器禁止法、細菌・毒素兵器禁止法、サリン法、毒物劇物取締法、銃刀法、特定秘密保護法、詐欺罪、建造物侵入罪、凶器準備集合罪、ウィルス作成罪、電磁的記録不正作出未遂罪、電子計算機損壊等業務妨害未遂罪、偽計業務妨害罪、ドローン無許可飛行罪などの現行法では処罰できないテロ準備行為には、どのようなものがあるか。百も思いつくだろうか。

 

とりわけ最近の最高裁判例は、違法目的で何かを入手すれば詐欺罪、どこかに行けば建造物侵入罪の成立を肯定する傾向にあり、そのいずれにも該当しない準備行為の範囲は相当に狭いはずである。しかも、殺意も危険物の取扱いもない準備行為となれば、捜査機関はそれらがテロ準備行為であることをどのように察知できるのか。常時監視するか、証拠がなくても摘発するか以外に、どれだけの手段があるだろうか。

 

第二に、いわゆるTOC条約(国連国際組織犯罪防止条約)の締結のためにも共謀罪は不要である。条約は、従来の国内法として、犯罪組織への参加罪を処罰するタイプの国と、共謀罪を処罰するタイプの国がほとんどであることを前提に、いずれかの方法で効果的な組織犯罪対策を講じることを求める。国連の立法ガイドは、いずれの制度も持っていない国は、その他の方法で同等の組織犯罪対策を実現するのでもよいとしている。日本はこれに該当するのであって、従来の方法に基づいて対処すれば足りる。

 

本条約のために新たな共謀罪立法を行った国としては、ノルウェーブルガリアしか挙げられていない。ノルウェーは広い共謀罪処罰を導入したが、捜査権限の乱用を防止する制度を充実させている。ブルガリアはもともと日本のように広い予備罪・準備罪等を持たなかった上、共謀罪の適用範囲を事実上マフィアに限定し、テロ組織を対象から外している。本条約自体が、テロ組織ではなくマフィアの対策を目的としており、テロ対策は国際法上も別体系である。

 

第三に、すでに現状でも捜査権限の乱用が問題となっている日本において、さらに処罰規定が大幅に広がれば、その濫用のおそれが一層高まる。第一点について書いたとおり、このように広範な前段階的行為まで実際に訴追するとなれば、通信傍受等の捜査手段を大規模に投入するか、証拠がなくても摘発するしかないだろう。後者は現に起こっている。何の危険も政治性もない通常の表現・営業活動が摘発の対象となり、多くのクラブが閉店に追い込まれるなんてことはひっきりなしにニュースで報じられている。例えば、最高裁まで争った被告人の金光氏は無罪を勝ち取ったが、裁判で争うことのできなかった他のクラブ関係者は、何の違法行為もしていないのに罰金刑が科され、冤罪が救済されないままとなっている。つまり事実として、警察は、最高裁判に従えば無罪となる行為についても広範に捜査権限を行使している。逮捕・勾留や家宅捜査などの強制捜査の対象となった事案の中には、起訴すらされていないものが多数である。これに共謀罪による摘発の権限が加わればどうなるか。

 

第四に、日本は明治時代以来、独自の組織犯罪対策を展開しており、最近の犯罪認知件数は減少して戦後最低記録を更新中である。オリンピック招致が決定した2013年よりも現在はさらに犯罪が大幅に減っている。第二点でも述べたが、国連条約は各国が国内法にあったアプローチで目的を効果的に達成することを求めており、日本は伝統的な共犯論や予備罪等を活用すれば足りるのである。むしろ、近年は、日本の方式と類似する考え方が国際刑事裁判でも採用されるようになっており、日本の組織裁判対策は、理論面でも国際的な規範たりうる。これがもし、全く新たな共謀罪処罰を広範に導入するとなれば、従来の処罰体系が破壊されるばかりか、実務面でも効果的な運用は期待できない。

 

第五に、現在、最も現実性の高いテロの主体は「イスラム国」などの過激派組織であり、安保法案の強行採決直後に日本人を被害者とする殺人事件などを発生させている。テロの危険を低下させる最大の効果を有する手段は、米国と一緒に武力を行使する国になったとのメッセージを解消することである。

 

共謀罪が成立されてからも、法案の問題性が複合的であることから、一般的にはなお難しすぎて理解しようという気持ちにはなれないという人や、オリンピックのために規制強化が必要だと思っている人が多数だと思われる。対して、共謀罪の危険性を理解できている人は、憶測や意見ではなく客観的事実を周囲に知らせるとともに、具体的な必要性や帰結を問いかけることが求められていると思う。

 

第一に、オリンピックに向けたテロ対策のために必要と考えられる犯罪類型を具体的にいくつ挙げることができるか問うてみると良い。ほとんどの人間は一つもあげられないだろう。導入される数百の処罰類型のほとんどは、テロとは直接関係のないものばかりだ。

 

第二に、犯罪の件数が激減して、仕事がなくなった警察が、政府に敵対的でない者をもターゲットにしていることを認識すべきである。すでに、政府の方針に対する抗議行為に携わる人々が長期勾留などの矯正処分を受けているが、摘発のターゲットはそれにとどまるわけではない。記念撮影のために路線に立ち入った女性芸能人二人が鉄道営業法違反で書類送検の対象となった。彼女らの行為は確かに違法ではあるが、それは極めて軽微であり、何の政治性も有していない。改正前風俗法の「ダンス営業」罪で検挙された人たちにも特定の政治的傾向があったわけではない。ここでの冤罪事例の大量発生は、運が悪いだけの人が有罪として扱われうることを示している。改正法で「ダンス営業」罪が廃止されたにもかかわらず、「遊興」処罰が新たに導入されたのは、裁判所の無罪判断を無視してまでも、警察が規制権限を維持しようとしたためである。

 

第三に、名称のいかんを問わず、TOC条約上「共謀罪」として位置付けられているタイプの犯罪類型の処罰を広範に導入した場合、捜査機関がそれらをどのように認知し摘発することができるのか。共謀罪法案に賛成の人には、危険物の取扱いが全くない段階でのその現実的可能性を想定させよ。なお、同条約にいう「組織」とは、二人以上の合意で足りることとされている。また、同条約は、捜査手段が各国の憲法に違反してはならなことも注記されている。

 

実際には、警察が果たすべき任務は大量にある。国会記録の改ざん・捏造や汚職などが放置されているのは、国家機関の構造的腐敗を示すものであり、日本の国際的信用を損なっている。とりわけ民間団体における汚職は日本において野放しであり、外国の捜査機関が日本人・日本企業の行為を対象とするに至っているのが現状である。共謀罪やテロ準備罪という名前に踊らされず、本質を見ればどれだけ不合理で不要な法案が成立されたのかを我々は認識すべきである。そして実際に法案が成立されたからといって、我々はそれに服従する必要はなく、反対の火種を広げていくことが求められる。本当にこんな日本で良いのかと、もう一度自問するべきである。

 

f:id:Nextepisode:20180215130236j:plain

暴徒化する中米の北部三角地帯

 

ここ最近難民を扱うニュースが減ってきているが、海外のニュースを観ていると状況は何ら変わっていないことがわかる。紛争による大量の難民を想定していなかった従来の保護体制が限界をきたしていることは明らかである。難民というと、我々の多くは中東やアフリカからの難民に目が集まりがちだ。だが中米でも難民危機が起きていることはほとんど日本では報じられることはない。

 

エルサルバドル、ホンジェラス、グアテマラ。中米の北部三角地帯と呼ばれるこの3ヶ国では、武装したギャング同士による縄張り抗争が激しく、殺人事件が急激に増えている。この事態に国が対策を講じきれていないために、数万人が国外に脱出している。

 

2015年のエルサルバドルでの殺人事件数は人口10万人中108件で、国連は紛争地帯を除いては最も危険な国であるとした。ホンジェラスの殺人事件数は同63件、グアテマラは34件であった。日本が同0.3件であるということを踏まえれば、いずれの国でも殺人事件の最大の被害者は若者で、30歳以下の犠牲者数は全犠牲者の半数以下である。

 

中米では冷戦下、アメリカに支援された軍事政権に対して抵抗運動を行う反政府ゲリラにソ連が軍事・経済支援を強化し、内戦状態にあった。1990年代に和平合意が結ばれ、和平の基盤が築かれたかに見えたが、合意で目指した貧困・社会的不平等の解消は進んでいない。これらの国は、未だに経済的、社会的周縁化と貧困が深刻である。ホンジェラス、グアテマラでは国民の6割、エルサルバドルでは3割が貧困ライン以下で暮らしている。そこから抜け出そうと、メキシコを通って米国を目指す人はもともと多い。

 

しかし、ここ数年で国を離れる最も大きな理由は、経済的な理由ではなく「危なくて住めない」ことである。社会がかつてなく暴力化する中で、難民として庇護を求める件数は、急増の一途をたどっている。かつての紛争時以来の難民問題である。暴力化の背景にあるのは「マーラ」と呼ばれる米国のギャングの流入だが、警察による暴力も多発している。

 

一方、メキシコやアメリカなどによる送還件数も増えている。命の危険がある場所への送還は国際法違反の非難すべき行為である。だが、この危機の一番の責任は、エルサルバドル、ホンジェラス、グアテマラの政府にある。暴力から市民が逃げ出していることを否定しているが、この事態を直視し、根本にある問題の解決に力を注ぐべきだ。

 

f:id:Nextepisode:20180215005358j:plain

こうしてテロリストが形成された

 

2015年11月13日、UNESCO総会へ参加するために滞在していたパリのホテルに「パリ市内で大規模なテロが起きた」という知らせが入った。部屋に戻りパソコンを開くと、家族や友人、大学の教員から連絡が入っており、生存確認の連絡を返した。その後、パリ市内に住む友人と連絡を取り合い、テレビとネットのニュースを追いかけた。爆破が起きたバーから3キロほどの場所にホテルがあり、救急車やパトカーがテロ発生地の方向に何台もひっきりなしに走っていく様子を窓から見ていた。ちょうど翌日に日本へ帰る便を予約していたのだが、一刻も早くこの国から離れなければならないと確信した。しかし、ホテルの外に出るほうが危険だと考えた私は、予定通り翌日の便で日本へ帰ることにした。テレビでは多くの人が空港に押し寄せる様子が報じられ、その日は眠れぬ夜を過ごした。

 

翌日、飛行機が遅延し、多くの人がパリから離れるため空港を利用することがわかっていたので、いつもより早く空港へ向かうことにした。空港までは少し距離があったが、身の安全を第一に考えタクシーを利用した。空港へ着くと予想していた通り多くの人たちで溢れかえっていた。緊張した状況の中で日常をなんとか保たせようとしている人、身内がテロに巻き込まれたのか大声で咽び泣く女性、一刻も早くこの国から離れたいと焦る観光客、初めての光景に私は動画を撮った。結局、飛行機が飛び立ったのは定刻を4時間も過ぎてからであった。

 

 

パリ同時多発テロは死者130名、500名弱の負傷者を出す大惨事となり、政府は直ちに非常事態を宣言した。テロの翌日、ISILは、ファビアン・クランの声で犯行声明を出し「今回の攻撃は嵐の始まりに過ぎない」と警告した(その後、ベルギーやドイツでテロが起きた)。本稿では、フランスが直面しているテロの脅威が、時間をかけてどのように形成されたかについて触れようと思う。

 

もともとフランスは「テロリズム」の発祥の地でもあるが、現在のイスラム過激派による活動・攻撃が活発化してきたのは1990年代、旧植民地アルジェリアにおける過酷な内戦の影響があり、母国での弾圧を逃れてきたイスラム主義者の中でも暴力的過激主義に傾倒していた武装イスラム集団(GIA)がフランスや欧州に構築したネットワークが基盤になったことが指摘されている。いわゆる「第一世代」によるテロの頂点は1995年のパリ地下鉄爆破事件であった。その後、主謀者らは拘束され、ネットワークの大半はフランス当局により潰された。また2001年の米国同時多発テロの発生を受けた取り締まり強化により、仏及び欧州のネットワークは弱体化していった。

 

しかし、これらの構成員のノウハウは、2003年のアメリカのイラク侵攻を契機に誕生したジハーディスト供給網へと引き継がれていった。それは、すでに収監されてきた第一世と、イラク渡航後に収監された第二世が獄中で知り合うことでも受け継がれ、例えば、パリ19区網に属し、シャルリー・エブド襲撃の実行犯であるクアシや、ユダヤ店舗等を襲撃したアメディ・クリバリは、獄中で第一世代のGIA戦闘員ベガルの影響を受けたとされている。他にも、パリ19区網と関わりがあり、ISILで要職を占めると考えられているサリーム・ベンガレム、また現在多くの構成員がシリアに渡航しているアルティガット網のエシッドやメラー等は、いずれも強盗等の犯罪で収監され、獄中で過激化した例として知られている。彼らは当局の監視網を潜り抜けながら、仏語という共有のファクターを通し、仏・ベルギー・アルジェリア・エジプト等を往来して、異なるネットワークとの関係を深めていったとされる。

 

この間、フランス国内はテロとは無縁で一見平穏な時期ではあったが、ジャーナリストや研究者らの報告を丹念につなぎ合わせると、水面下では脈々と現在のジハーディストを輩出するネットワークが多く形成、構築されていたことが窺える。これらの層が、2011年以降のシリア内戦を契機に、アサド政権討伐等を理由に次々と渡来し、またテロ組織がインターネット上で繰り出すプロパガンダの影響により、新しいジハード世代が誕生する。複数の地域に潜む仏語圏構成員ネットワークの存在も明るみに出され、仏下院の報告書は「すでに北アフリカを含む仏語圏全体が標的と考えるべき」との見解を示している。

 

これまで外国人戦闘員にシリア・イラクへの渡航を呼びかけていたISLLは、空爆が激化し劣勢になった途端、渡航をやめ自国内でジハードを行うようにメッセージを発している。多くの専門家が言うように、ジハードに失望した層も多い一方で、悔悛したふりをして仏でのテロを再度企図している層も少なくないと私は考えている。シリアには、戦闘員と一緒に渡航した女性・子どもや現地で生まれた乳幼児が数百人いるが、一部はすでに帰還している。ジハードの思想の下で育てられ、低年齢で戦闘に従事した層の今後が懸念される。

 

また現在増えているのは、渡航歴がなく、しかし精神的に不安定な未成年の過激化である。特に2016年以降は、若い女性らによるテロ未遂事件が続き、中には、「ISLLが女性のコマンド部隊を組織した」と報じるメディアもあったが、ISLLのプロパガンダ誌には、「女性の役割はあくまでも子供を産み、ジハードの思想の中で育てていく」ことにあり、夫の自爆死を喜んで見送ることが推奨されている。しかし、戦闘員の妻たちを追いかけたジャーナリストは、妻たちは間接的に夫をサポートしており、特にユダヤ店舗を襲撃したクリバリの妻ハヤットは、殉職者の妻としてプロパガンダ誌でもインタビューが掲載され、女性たちが「家庭不和の中で育ち、犯罪歴があったり、特に性的虐待を受けた者が多い」点を指摘し、若者は自らの罪をすすぐ免罪符としてジハードを捉えていると述べている。

 

フランス当局は、1995年の地下鉄テロ以降、大幅な職員の増員や、新機材の投入により監視体制を強化しているが、2015年に運用が始まった過激派データベースの登録者数は、当初の約1万人から、現在は倍近くまで急増している。過激化の兆候を捉える場が、従来のモスクから監視の難しいサイバー空間へと移行している中、インターネットで短い間に過激化してテロを決行しようとするアマチュアの動向までは到底把握しきれていない。

 

パリ北部郊外のセーヌ・サン・ドニ県(Seine-san-denis)は、2015年の同時多発テロと実行犯のアジト襲撃の舞台ともなり、テロや犯罪と結びつけられることの多い郊外の一つである。1970年代までは、工場地帯として多くの移民が移住し、多数派の共産党員や労働組合がこれら労働者の統合を助けていた。しかし、1981年の社会党政権の誕生で県内における共産党優位が崩れ、また不況による工場閉鎖もあり、連帯は縮小しはじめた。学歴や職のない若者は麻薬取引に従事しはじめ、欧州をつなぐ長距離バスターミナルがあることで、1990年代後半以降、セルビアボスニア等から武器が流入し、県内の仮倉庫が武器の保管庫ともなっていく。

 

政府は、これらの地域で優先的に住宅供給や雇用創出等に努めてきたものの、住民当局への不信感は収まらず、2005年にはモスクでの小競り合いがフランス全土を巻き込む騒擾へと発展している。そのような中で、潤沢なオイルマネーを元手にした湾岸諸国からの慈善団体も少しずつ活動を拡大していった。特に、失業したり、犯罪を犯して家族やコミュニティからはじき出された移民二、三世の若者達は、神の前での平等を説くイスラムの教えに向かうようになったと言われる。2000年頃から増えたサラフィー主義者たちも、このように脆弱な層を狙い、収監中から訪問を繰り返して取り込んでいることも指摘されている。

 

フランスではサラフィー主義とジハード主義が同一視される傾向があるが、サラフィー主義者の中で過激化・暴力化するのはごく一部であることも強調したい。私が混乱するパリの空港へ向かう時に、危険を顧みず空港まで乗せてくれたアルジェリア人のタクシー運転手は、ある日突然、アラフィー主義者の出で立ちで現れた。儲かっていた観光者向けの運送業が、競合するタクシー業界からの圧力で廃業に追い込まれ、その時期からサラフィー主義に傾倒し始めたが、暴力的なジハード主義者とは全く別物であるという。差別の解消、社会への公平な統合を求めるこれらの若者にどう寄り添えるか、今後の課題の一つであろう。

 

その点、かつてのパリ19区網の指導者ファリードの脱過激派の経緯は興味深い。根っからのムスリム家庭に育ったファリードは、厳格な父が、祖母が亡くなって以降アルコール依存症になった姿を見て指針を失った。しかし、地元のイスラム系慈善団体に関わるようになり、原理主義者の衣類を着用することで「識者」として他者からの尊敬を得る感覚を知った。そこから原理主義の教えに傾倒し、周囲に説教したり、アラビア語を教えていった。クアシ兄弟とも、パリ19区で教えを説いていた時に出会い「兄弟ともにあまり知的ではなく、特に弟は一刻も早くイラクでジハードをしたいと焦っていた」と、彼らの印象を語っている。

 

さて、クアシらパリ19区網の構成員がイラクへの渡航を企図して失敗し、ファリードも収監されることとなるが、ある日、他の囚人により「ジハードをすることで自分は何を感じるのか」を問われ、それまで自爆テロをすることで自分は天国に行き救済されるという考えしかなく、自爆テロで巻き添えになる他者に考えを向けたことがなかったことに気づいたという。暴力的なユートピア思想から距離を置きはじめたが、とはいえ過激思想から離れるまで何度も揺り戻しはあった。収監中は「絶対に昔のジハード仲間とは会わない」と固く決心していても、出所後に真っ先にコンタクトを取り、会ったのはかつての仲間たちであった。2012年、フランスでのテロを決行したメディ・ピレネー連続銃撃事件が、ジハードから決別する契機となった。

 

彼は出所後に看護師の勉強を始めたが、社会復帰目前という時に、シャルリー・エブド襲撃が発生したことで看護職への道が閉ざされた。元過激派の社会復帰は非常に難しいものの、彼自身、出所後に教育の機会が与えられたことで、自分はフランス国民であり、社会に受け入れられたという感覚を覚えたとして、悔悛した者に社会が再度機会を与えられるかどうかが重要だと述べている。

 

現在は、若者の脱過激化の専門家とされるブザール女史に協力しているが、クアシ兄弟をテロに駆り立てた人物の登場は大きな物議を醸した。今でも、彼が過激思想から抜けたのかを疑問視する声も少なくないが、ブザール女史との共署では、脱過激化のプロセスや、他者にはわかりにくいサラフィー主義とジハード主義の違いを解説し、かつての自分のように指針を失い、過激化した若者たちの助けになりたいという熱意が感じられる。

 

欧州に向かう移民や難民が急増し、またその中の一部によるテロや犯罪が後を絶たない現状において、欧州が規制を強化するのはやむを得ないことでもある。しかし、過度の恐怖心からくる過激な規制策は、中長期的には、我が身にも跳ね返るのではないだろうか。社会を分断し、国を弱めることが、テロ組織の狙いでもあるという。フランスの希望の星とも称され、移民には寛容であるマクロン大統領が、心機一転過激な舵取りをしないことを願うばかりである。

 

f:id:Nextepisode:20180214182542j:plain