Nextepisode’s blog

院生(M1) 専門-開発経済/国際関係

子どもを最優先に考えた離婚


春の訪れを待ちわびながらちょうど去年の今頃、私は「夫婦断絶防止法」に関する講演会に参加した。この法案は、「離婚等の後も子が父母と親子としての継続的な関係を持ち、その愛情を受けることが、子の健全な成長及び人格の形成のために重要である」という理念のもと、「連れ去りを防ぐ法制の検討が必要」との見解から国会に提出され、今日に至るまで可決されていないものの、遅かれ早かれ可決される可能性が十分にある法案である。

この法案をめぐる講演会に参加した時、「温かい家庭こそ善」という同調圧力を感じずにはいられなかった。もちろん、家庭が温かい場所でなら素晴らしい。しかし問題は、その家庭が安らぎの場所ではない人が少なからずいるにもかかわらず、社会のどこかに彼らの居場所を作ろうと政治家が積極的にならず、「家庭の中で解決してください」とでも言わんばかりの態度であるということだ。

離婚は、言うまでもなく途方もない苦労を伴う。誰が好き好んで戸籍にバツを背負うだろう。参加者の一人が壇上で「私が離婚をした理由は、相手がギャンブル依存に陥り、DVによって生命の危険を感じたことにあります。まだ四歳だった娘とともに命かながら逃げてきた行為を”連れ去り”だったと言われてしまえば、私はこの法案によってどんな人間になってしまうのでしょうか」。

もちろん彼女は衝動的に離婚に踏み切ったわけではない。様々な機関へ通い、生活改善を試み、相手の両親とも話し合いの機会を持った。多くの離婚経験者がそうであるように、彼女の場合も、そこに至るまでに長い時間と深い苦悩があった。当然、”子どもの将来を最優先に考えた”。

そもそも、多くの場合親権者にならない父親を想定した面会交流の保障をむやみに行うだけで、、親子の断絶が防止できると考えるのも短格的である。講演会で聴いた話の中で最も驚いたのが、オーストラリアでは10年も前に親子断絶防止法が制定されていたことだ。だが「面会交流を行うほど良い」との理念があり、交流を重ねれば重ねるほど、非同居親が支払う教育費は減額される仕組みだという。さらに09年には、子どもとの面会交流中に父親から四歳の子どもが橋の下に落とされる事件が起き、DV夫の暴力癖と法制度によって幼い生命が消えた。

いたずらに親子を引き合わせることは、「幸せ家族」の保全にしかなりえない。人はそれぞれに事情を抱えて生きる。その個別的な事情に配慮を巡らせない法案が通れば、オーストラリアの失敗を繰り返すことになりかねない。蛇足ながら、この法案は、DVなどの実力行使になった際に必ず被害者になる女性の視点が少ないように思われる。

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共謀罪の何が問題か

 

 今から2か月前、私は共謀罪強行採決されたことを受け記事を書いた。

 

nextepisode.hatenablog.com

 

多くの民衆の意を反して少数の権力者が強引に採決した法案は、我々にこの国の政治が腐敗していることを認識させた。本稿では共謀罪の危険性について、それをさらに敷衍し出来る限り簡潔に問題点を纏めたい。

 

私が懸念する問題点は主に五つある。第一は、「テロ等準備罪」の名称を掲げたからといって、共謀罪と実質的に同一の処罰規定を設ける根拠には全くならないことである。日本は国際的なテロ対策の条約および国連決議を全て実施しており、もともと処罰している準備的行為の範囲も多くの諸外国より広い。

 

名称にごまかされてはならないことは、どこに立法の必要性があるかを具体的に考えればわかる。殺人の目的で凶器や薬品などを準備すると、殺人予備罪が成立する。殺人予備罪で処罰できないテロ準備行為としてありうるのは、殺人の目的になく凶器や薬品などを取り扱う行為や、殺人の目的だが凶器や薬品などを取り扱わない準備行為ということになろう。それらの中で、爆発物取締罰則化学兵器禁止法、細菌・毒素兵器禁止法、サリン法、毒物劇物取締法、銃刀法、特定秘密保護法、詐欺罪、建造物侵入罪、凶器準備集合罪、ウィルス作成罪、電磁的記録不正作出未遂罪、電子計算機損壊等業務妨害未遂罪、偽計業務妨害罪、ドローン無許可飛行罪などの現行法では処罰できないテロ準備行為には、どのようなものがあるか。百も思いつくだろうか。

 

とりわけ最近の最高裁判例は、違法目的で何かを入手すれば詐欺罪、どこかに行けば建造物侵入罪の成立を肯定する傾向にあり、そのいずれにも該当しない準備行為の範囲は相当に狭いはずである。しかも、殺意も危険物の取扱いもない準備行為となれば、捜査機関はそれらがテロ準備行為であることをどのように察知できるのか。常時監視するか、証拠がなくても摘発するか以外に、どれだけの手段があるだろうか。

 

第二に、いわゆるTOC条約(国連国際組織犯罪防止条約)の締結のためにも共謀罪は不要である。条約は、従来の国内法として、犯罪組織への参加罪を処罰するタイプの国と、共謀罪を処罰するタイプの国がほとんどであることを前提に、いずれかの方法で効果的な組織犯罪対策を講じることを求める。国連の立法ガイドは、いずれの制度も持っていない国は、その他の方法で同等の組織犯罪対策を実現するのでもよいとしている。日本はこれに該当するのであって、従来の方法に基づいて対処すれば足りる。

 

本条約のために新たな共謀罪立法を行った国としては、ノルウェーブルガリアしか挙げられていない。ノルウェーは広い共謀罪処罰を導入したが、捜査権限の乱用を防止する制度を充実させている。ブルガリアはもともと日本のように広い予備罪・準備罪等を持たなかった上、共謀罪の適用範囲を事実上マフィアに限定し、テロ組織を対象から外している。本条約自体が、テロ組織ではなくマフィアの対策を目的としており、テロ対策は国際法上も別体系である。

 

第三に、すでに現状でも捜査権限の乱用が問題となっている日本において、さらに処罰規定が大幅に広がれば、その濫用のおそれが一層高まる。第一点について書いたとおり、このように広範な前段階的行為まで実際に訴追するとなれば、通信傍受等の捜査手段を大規模に投入するか、証拠がなくても摘発するしかないだろう。後者は現に起こっている。何の危険も政治性もない通常の表現・営業活動が摘発の対象となり、多くのクラブが閉店に追い込まれるなんてことはひっきりなしにニュースで報じられている。例えば、最高裁まで争った被告人の金光氏は無罪を勝ち取ったが、裁判で争うことのできなかった他のクラブ関係者は、何の違法行為もしていないのに罰金刑が科され、冤罪が救済されないままとなっている。つまり事実として、警察は、最高裁判に従えば無罪となる行為についても広範に捜査権限を行使している。逮捕・勾留や家宅捜査などの強制捜査の対象となった事案の中には、起訴すらされていないものが多数である。これに共謀罪による摘発の権限が加わればどうなるか。

 

第四に、日本は明治時代以来、独自の組織犯罪対策を展開しており、最近の犯罪認知件数は減少して戦後最低記録を更新中である。オリンピック招致が決定した2013年よりも現在はさらに犯罪が大幅に減っている。第二点でも述べたが、国連条約は各国が国内法にあったアプローチで目的を効果的に達成することを求めており、日本は伝統的な共犯論や予備罪等を活用すれば足りるのである。むしろ、近年は、日本の方式と類似する考え方が国際刑事裁判でも採用されるようになっており、日本の組織裁判対策は、理論面でも国際的な規範たりうる。これがもし、全く新たな共謀罪処罰を広範に導入するとなれば、従来の処罰体系が破壊されるばかりか、実務面でも効果的な運用は期待できない。

 

第五に、現在、最も現実性の高いテロの主体は「イスラム国」などの過激派組織であり、安保法案の強行採決直後に日本人を被害者とする殺人事件などを発生させている。テロの危険を低下させる最大の効果を有する手段は、米国と一緒に武力を行使する国になったとのメッセージを解消することである。

 

共謀罪が成立されてからも、法案の問題性が複合的であることから、一般的にはなお難しすぎて理解しようという気持ちにはなれないという人や、オリンピックのために規制強化が必要だと思っている人が多数だと思われる。対して、共謀罪の危険性を理解できている人は、憶測や意見ではなく客観的事実を周囲に知らせるとともに、具体的な必要性や帰結を問いかけることが求められていると思う。

 

第一に、オリンピックに向けたテロ対策のために必要と考えられる犯罪類型を具体的にいくつ挙げることができるか問うてみると良い。ほとんどの人間は一つもあげられないだろう。導入される数百の処罰類型のほとんどは、テロとは直接関係のないものばかりだ。

 

第二に、犯罪の件数が激減して、仕事がなくなった警察が、政府に敵対的でない者をもターゲットにしていることを認識すべきである。すでに、政府の方針に対する抗議行為に携わる人々が長期勾留などの矯正処分を受けているが、摘発のターゲットはそれにとどまるわけではない。記念撮影のために路線に立ち入った女性芸能人二人が鉄道営業法違反で書類送検の対象となった。彼女らの行為は確かに違法ではあるが、それは極めて軽微であり、何の政治性も有していない。改正前風俗法の「ダンス営業」罪で検挙された人たちにも特定の政治的傾向があったわけではない。ここでの冤罪事例の大量発生は、運が悪いだけの人が有罪として扱われうることを示している。改正法で「ダンス営業」罪が廃止されたにもかかわらず、「遊興」処罰が新たに導入されたのは、裁判所の無罪判断を無視してまでも、警察が規制権限を維持しようとしたためである。

 

第三に、名称のいかんを問わず、TOC条約上「共謀罪」として位置付けられているタイプの犯罪類型の処罰を広範に導入した場合、捜査機関がそれらをどのように認知し摘発することができるのか。共謀罪法案に賛成の人には、危険物の取扱いが全くない段階でのその現実的可能性を想定させよ。なお、同条約にいう「組織」とは、二人以上の合意で足りることとされている。また、同条約は、捜査手段が各国の憲法に違反してはならなことも注記されている。

 

実際には、警察が果たすべき任務は大量にある。国会記録の改ざん・捏造や汚職などが放置されているのは、国家機関の構造的腐敗を示すものであり、日本の国際的信用を損なっている。とりわけ民間団体における汚職は日本において野放しであり、外国の捜査機関が日本人・日本企業の行為を対象とするに至っているのが現状である。共謀罪やテロ準備罪という名前に踊らされず、本質を見ればどれだけ不合理で不要な法案が成立されたのかを我々は認識すべきである。そして実際に法案が成立されたからといって、我々はそれに服従する必要はなく、反対の火種を広げていくことが求められる。本当にこんな日本で良いのかと、もう一度自問するべきである。

 

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暴徒化する中米の北部三角地帯

 

ここ最近難民を扱うニュースが減ってきているが、海外のニュースを観ていると状況は何ら変わっていないことがわかる。紛争による大量の難民を想定していなかった従来の保護体制が限界をきたしていることは明らかである。難民というと、我々の多くは中東やアフリカからの難民に目が集まりがちだ。だが中米でも難民危機が起きていることはほとんど日本では報じられることはない。

 

エルサルバドル、ホンジェラス、グアテマラ。中米の北部三角地帯と呼ばれるこの3ヶ国では、武装したギャング同士による縄張り抗争が激しく、殺人事件が急激に増えている。この事態に国が対策を講じきれていないために、数万人が国外に脱出している。

 

2015年のエルサルバドルでの殺人事件数は人口10万人中108件で、国連は紛争地帯を除いては最も危険な国であるとした。ホンジェラスの殺人事件数は同63件、グアテマラは34件であった。日本が同0.3件であるということを踏まえれば、いずれの国でも殺人事件の最大の被害者は若者で、30歳以下の犠牲者数は全犠牲者の半数以下である。

 

中米では冷戦下、アメリカに支援された軍事政権に対して抵抗運動を行う反政府ゲリラにソ連が軍事・経済支援を強化し、内戦状態にあった。1990年代に和平合意が結ばれ、和平の基盤が築かれたかに見えたが、合意で目指した貧困・社会的不平等の解消は進んでいない。これらの国は、未だに経済的、社会的周縁化と貧困が深刻である。ホンジェラス、グアテマラでは国民の6割、エルサルバドルでは3割が貧困ライン以下で暮らしている。そこから抜け出そうと、メキシコを通って米国を目指す人はもともと多い。

 

しかし、ここ数年で国を離れる最も大きな理由は、経済的な理由ではなく「危なくて住めない」ことである。社会がかつてなく暴力化する中で、難民として庇護を求める件数は、急増の一途をたどっている。かつての紛争時以来の難民問題である。暴力化の背景にあるのは「マーラ」と呼ばれる米国のギャングの流入だが、警察による暴力も多発している。

 

一方、メキシコやアメリカなどによる送還件数も増えている。命の危険がある場所への送還は国際法違反の非難すべき行為である。だが、この危機の一番の責任は、エルサルバドル、ホンジェラス、グアテマラの政府にある。暴力から市民が逃げ出していることを否定しているが、この事態を直視し、根本にある問題の解決に力を注ぐべきだ。

 

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こうしてテロリストが形成された

 

2015年11月13日、UNESCO総会へ参加するために滞在していたパリのホテルに「パリ市内で大規模なテロが起きた」という知らせが入った。部屋に戻りパソコンを開くと、家族や友人、大学の教員から連絡が入っており、生存確認の連絡を返した。その後、パリ市内に住む友人と連絡を取り合い、テレビとネットのニュースを追いかけた。爆破が起きたバーから3キロほどの場所にホテルがあり、救急車やパトカーがテロ発生地の方向に何台もひっきりなしに走っていく様子を窓から見ていた。ちょうど翌日に日本へ帰る便を予約していたのだが、一刻も早くこの国から離れなければならないと確信した。しかし、ホテルの外に出るほうが危険だと考えた私は、予定通り翌日の便で日本へ帰ることにした。テレビでは多くの人が空港に押し寄せる様子が報じられ、その日は眠れぬ夜を過ごした。

 

翌日、飛行機が遅延し、多くの人がパリから離れるため空港を利用することがわかっていたので、いつもより早く空港へ向かうことにした。空港までは少し距離があったが、身の安全を第一に考えタクシーを利用した。空港へ着くと予想していた通り多くの人たちで溢れかえっていた。緊張した状況の中で日常をなんとか保たせようとしている人、身内がテロに巻き込まれたのか大声で咽び泣く女性、一刻も早くこの国から離れたいと焦る観光客、初めての光景に私は動画を撮った。結局、飛行機が飛び立ったのは定刻を4時間も過ぎてからであった。

 

 

パリ同時多発テロは死者130名、500名弱の負傷者を出す大惨事となり、政府は直ちに非常事態を宣言した。テロの翌日、ISILは、ファビアン・クランの声で犯行声明を出し「今回の攻撃は嵐の始まりに過ぎない」と警告した(その後、ベルギーやドイツでテロが起きた)。本稿では、フランスが直面しているテロの脅威が、時間をかけてどのように形成されたかについて触れようと思う。

 

もともとフランスは「テロリズム」の発祥の地でもあるが、現在のイスラム過激派による活動・攻撃が活発化してきたのは1990年代、旧植民地アルジェリアにおける過酷な内戦の影響があり、母国での弾圧を逃れてきたイスラム主義者の中でも暴力的過激主義に傾倒していた武装イスラム集団(GIA)がフランスや欧州に構築したネットワークが基盤になったことが指摘されている。いわゆる「第一世代」によるテロの頂点は1995年のパリ地下鉄爆破事件であった。その後、主謀者らは拘束され、ネットワークの大半はフランス当局により潰された。また2001年の米国同時多発テロの発生を受けた取り締まり強化により、仏及び欧州のネットワークは弱体化していった。

 

しかし、これらの構成員のノウハウは、2003年のアメリカのイラク侵攻を契機に誕生したジハーディスト供給網へと引き継がれていった。それは、すでに収監されてきた第一世と、イラク渡航後に収監された第二世が獄中で知り合うことでも受け継がれ、例えば、パリ19区網に属し、シャルリー・エブド襲撃の実行犯であるクアシや、ユダヤ店舗等を襲撃したアメディ・クリバリは、獄中で第一世代のGIA戦闘員ベガルの影響を受けたとされている。他にも、パリ19区網と関わりがあり、ISILで要職を占めると考えられているサリーム・ベンガレム、また現在多くの構成員がシリアに渡航しているアルティガット網のエシッドやメラー等は、いずれも強盗等の犯罪で収監され、獄中で過激化した例として知られている。彼らは当局の監視網を潜り抜けながら、仏語という共有のファクターを通し、仏・ベルギー・アルジェリア・エジプト等を往来して、異なるネットワークとの関係を深めていったとされる。

 

この間、フランス国内はテロとは無縁で一見平穏な時期ではあったが、ジャーナリストや研究者らの報告を丹念につなぎ合わせると、水面下では脈々と現在のジハーディストを輩出するネットワークが多く形成、構築されていたことが窺える。これらの層が、2011年以降のシリア内戦を契機に、アサド政権討伐等を理由に次々と渡来し、またテロ組織がインターネット上で繰り出すプロパガンダの影響により、新しいジハード世代が誕生する。複数の地域に潜む仏語圏構成員ネットワークの存在も明るみに出され、仏下院の報告書は「すでに北アフリカを含む仏語圏全体が標的と考えるべき」との見解を示している。

 

これまで外国人戦闘員にシリア・イラクへの渡航を呼びかけていたISLLは、空爆が激化し劣勢になった途端、渡航をやめ自国内でジハードを行うようにメッセージを発している。多くの専門家が言うように、ジハードに失望した層も多い一方で、悔悛したふりをして仏でのテロを再度企図している層も少なくないと私は考えている。シリアには、戦闘員と一緒に渡航した女性・子どもや現地で生まれた乳幼児が数百人いるが、一部はすでに帰還している。ジハードの思想の下で育てられ、低年齢で戦闘に従事した層の今後が懸念される。

 

また現在増えているのは、渡航歴がなく、しかし精神的に不安定な未成年の過激化である。特に2016年以降は、若い女性らによるテロ未遂事件が続き、中には、「ISLLが女性のコマンド部隊を組織した」と報じるメディアもあったが、ISLLのプロパガンダ誌には、「女性の役割はあくまでも子供を産み、ジハードの思想の中で育てていく」ことにあり、夫の自爆死を喜んで見送ることが推奨されている。しかし、戦闘員の妻たちを追いかけたジャーナリストは、妻たちは間接的に夫をサポートしており、特にユダヤ店舗を襲撃したクリバリの妻ハヤットは、殉職者の妻としてプロパガンダ誌でもインタビューが掲載され、女性たちが「家庭不和の中で育ち、犯罪歴があったり、特に性的虐待を受けた者が多い」点を指摘し、若者は自らの罪をすすぐ免罪符としてジハードを捉えていると述べている。

 

フランス当局は、1995年の地下鉄テロ以降、大幅な職員の増員や、新機材の投入により監視体制を強化しているが、2015年に運用が始まった過激派データベースの登録者数は、当初の約1万人から、現在は倍近くまで急増している。過激化の兆候を捉える場が、従来のモスクから監視の難しいサイバー空間へと移行している中、インターネットで短い間に過激化してテロを決行しようとするアマチュアの動向までは到底把握しきれていない。

 

パリ北部郊外のセーヌ・サン・ドニ県(Seine-san-denis)は、2015年の同時多発テロと実行犯のアジト襲撃の舞台ともなり、テロや犯罪と結びつけられることの多い郊外の一つである。1970年代までは、工場地帯として多くの移民が移住し、多数派の共産党員や労働組合がこれら労働者の統合を助けていた。しかし、1981年の社会党政権の誕生で県内における共産党優位が崩れ、また不況による工場閉鎖もあり、連帯は縮小しはじめた。学歴や職のない若者は麻薬取引に従事しはじめ、欧州をつなぐ長距離バスターミナルがあることで、1990年代後半以降、セルビアボスニア等から武器が流入し、県内の仮倉庫が武器の保管庫ともなっていく。

 

政府は、これらの地域で優先的に住宅供給や雇用創出等に努めてきたものの、住民当局への不信感は収まらず、2005年にはモスクでの小競り合いがフランス全土を巻き込む騒擾へと発展している。そのような中で、潤沢なオイルマネーを元手にした湾岸諸国からの慈善団体も少しずつ活動を拡大していった。特に、失業したり、犯罪を犯して家族やコミュニティからはじき出された移民二、三世の若者達は、神の前での平等を説くイスラムの教えに向かうようになったと言われる。2000年頃から増えたサラフィー主義者たちも、このように脆弱な層を狙い、収監中から訪問を繰り返して取り込んでいることも指摘されている。

 

フランスではサラフィー主義とジハード主義が同一視される傾向があるが、サラフィー主義者の中で過激化・暴力化するのはごく一部であることも強調したい。私が混乱するパリの空港へ向かう時に、危険を顧みず空港まで乗せてくれたアルジェリア人のタクシー運転手は、ある日突然、アラフィー主義者の出で立ちで現れた。儲かっていた観光者向けの運送業が、競合するタクシー業界からの圧力で廃業に追い込まれ、その時期からサラフィー主義に傾倒し始めたが、暴力的なジハード主義者とは全く別物であるという。差別の解消、社会への公平な統合を求めるこれらの若者にどう寄り添えるか、今後の課題の一つであろう。

 

その点、かつてのパリ19区網の指導者ファリードの脱過激派の経緯は興味深い。根っからのムスリム家庭に育ったファリードは、厳格な父が、祖母が亡くなって以降アルコール依存症になった姿を見て指針を失った。しかし、地元のイスラム系慈善団体に関わるようになり、原理主義者の衣類を着用することで「識者」として他者からの尊敬を得る感覚を知った。そこから原理主義の教えに傾倒し、周囲に説教したり、アラビア語を教えていった。クアシ兄弟とも、パリ19区で教えを説いていた時に出会い「兄弟ともにあまり知的ではなく、特に弟は一刻も早くイラクでジハードをしたいと焦っていた」と、彼らの印象を語っている。

 

さて、クアシらパリ19区網の構成員がイラクへの渡航を企図して失敗し、ファリードも収監されることとなるが、ある日、他の囚人により「ジハードをすることで自分は何を感じるのか」を問われ、それまで自爆テロをすることで自分は天国に行き救済されるという考えしかなく、自爆テロで巻き添えになる他者に考えを向けたことがなかったことに気づいたという。暴力的なユートピア思想から距離を置きはじめたが、とはいえ過激思想から離れるまで何度も揺り戻しはあった。収監中は「絶対に昔のジハード仲間とは会わない」と固く決心していても、出所後に真っ先にコンタクトを取り、会ったのはかつての仲間たちであった。2012年、フランスでのテロを決行したメディ・ピレネー連続銃撃事件が、ジハードから決別する契機となった。

 

彼は出所後に看護師の勉強を始めたが、社会復帰目前という時に、シャルリー・エブド襲撃が発生したことで看護職への道が閉ざされた。元過激派の社会復帰は非常に難しいものの、彼自身、出所後に教育の機会が与えられたことで、自分はフランス国民であり、社会に受け入れられたという感覚を覚えたとして、悔悛した者に社会が再度機会を与えられるかどうかが重要だと述べている。

 

現在は、若者の脱過激化の専門家とされるブザール女史に協力しているが、クアシ兄弟をテロに駆り立てた人物の登場は大きな物議を醸した。今でも、彼が過激思想から抜けたのかを疑問視する声も少なくないが、ブザール女史との共署では、脱過激化のプロセスや、他者にはわかりにくいサラフィー主義とジハード主義の違いを解説し、かつての自分のように指針を失い、過激化した若者たちの助けになりたいという熱意が感じられる。

 

欧州に向かう移民や難民が急増し、またその中の一部によるテロや犯罪が後を絶たない現状において、欧州が規制を強化するのはやむを得ないことでもある。しかし、過度の恐怖心からくる過激な規制策は、中長期的には、我が身にも跳ね返るのではないだろうか。社会を分断し、国を弱めることが、テロ組織の狙いでもあるという。フランスの希望の星とも称され、移民には寛容であるマクロン大統領が、心機一転過激な舵取りをしないことを願うばかりである。

 

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制御不能の労働力不足

 

去年2017年度の失業率は23年ぶりに3%を下回り(2.8%) 、有効求人倍率は1.59と1974年1月の1.64以来44年ぶりの水準であった。高度経済成長の後半からバブル期のピークさえ抜くかのように思えたほどであった。しかし、日本が抱える人手不足は今後さらに深刻化する可能性がある。

 

第2次および第3次安倍政権の4年間に就業者数は200万人以上も増えており、これは生産年齢人口が年率1%近く減る中で、高大な数字だ。もっとも、その内実をみると、増えたのはもっぱら非正規雇用の短時間労働者であり、人数×労働時間で測った労働投入量はほとんど増えていない。ゆえに、経済成長率に反映されなというわけである。

 

こうした短時間労働者が大幅に増えた理由の一つは、団塊世代が予想以上に働き続けたことにある。ただし、主に再雇用などでフルタイムで働くわけではないから、労働時間は大きく減少している。もう一つは、主婦パートの増加である。ここ数年、女性の労働参加率は顕著に上昇しているが、保育所の不足などもあってフルタイムで働く女性はあまり増えていない。配偶者控除の上限を気にして就労調整するような短時間のパートが大半である。

 

もちろん、こうした短時間労働者の増加自体は好ましいことである。安倍政権下の平均実質成長率は1.3%だが、もし短時間労働者の増加がなかったら1%を下回っていただろう。労働者不足対策としての高齢者と女性の活用が進んでいるのは、間違いのない事実である。また、”非正規雇用=不幸な人”という捉え方は偏頗である。今増えているのは、定年を過ぎても元気に働き続ける高齢者であり、子育てを終えて時間に余裕のある主婦たちだ。就職戦線は完全に売り手市場だから、新卒時に正規雇用を望んでも職が得られず、仕方なく非正規雇用に就いた人の数は着実に減少してきている。それに、非正規雇用の賃金水準は低いが、正規雇用との格差は縮小している。企業収益は好調でも、中期的な競争力への不安から組織労働者の賃金はほとんど上がっていない。一方で、パート、アルバイトの時給は、労働需給の逼迫を素直に反映する形で年々上昇が続いている。

 

問題は、短時間労働者で人出不足を補うという方法は持続性を欠くということにある。実際、短時間労働者の増加は限界に近づいているのではないだろうか。その根拠は、団塊世代が去年から70歳代に入ったということだ。さすがに70歳を越えればリタイアする人も増えてくるだろう。また、女性の労働参加率はすでに米国並みにまで高まっている。北欧の水準にはまだ遠いが、北欧とは社会の仕組みが大きく異なる。これまでのような勢いで労働参加率が上昇を続けるとは想像しがたい。

 

宅配便の限界が大きな話題になるなど、人手不足は深刻な状況にある。そう考えると、日本で必要なのは生産性の向上とフルタイムの女性就労を支援することだろう。建設業界が残業時間の制限に適用猶予を求めているようなときに、景気対策で公共事業を増やしているのをみると、うつけたように立ち尽くしてしまう。

 

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問われる平常時の住宅政策

 

東日本大震災から7年が経とうとしている。 東北の震災3県である岩手、宮城、福島では今なお3万人もの人が仮設住宅に住み続けている。応急的であり、一時的な仮設住宅に多くの人が長く住み続けなければならないということを、我々はどのように考えているのだろうか。もちろん仮設住宅に住み続けている人たちも、一刻も早くその場から離れたいという気持ちを日々抱えて生きていることだろうし、被災自治体の関係者も同じ気持ちで日々復興に向けて職務にあたっている。だから私はこうした状況を受け、当事者の判断や自治体関係者を問題にするつもりは微塵もなく、むしろ復興が進まない状況を許容しているのは私であり、当事者以外の非被災者であると考えている。自分が当事者にならなければ主体という意識すらなく日々平然と生きていける鈍化した感性が一番の深刻な問題であり、復興が進まない原因なのだろうと思う。

 

このブログではこれまで2度に渡り住宅問題を取り上げてきた。

 

 

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1回目は空き家問題について書いた。日本全国で空き家の数が増えてしまった原因と、国を挙げて空き家の再利用に取り組まなければならないことを指摘した。

 

 

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2回目は若者のための住宅政策を書いた。相対的貧困層が増え、日本全体で経済成長が鈍化してきた社会で、住宅政策に早急に取り組む必要性を訴えた。

 

3回目となる本稿では、震災後の住宅をめぐる日常生活回復の拠点となるべき住宅確保の政策について、平常時の住宅政策との接合を重視し、普遍的な社会政策の一環としての住宅政策の必要性を訴えていくことを目的とする。社会政策の一環としての住宅政策の中で、国土交通省が”住宅確保要配偶者”という小難しい言葉を用いるのは、対策を講じようとする姿勢の表れだと受け取れる一方で、政策の必要性が認知されてこなかったことの表れとも言える。

 

この「住宅確保要配偶者」とは「低額所得者、被災者、高齢者、障害者、子供を育成する家庭その他住宅の確保に特に配慮を要する者」の略称である。その問題認識の広さは注目に値するが、対策の実質が伴わなければならないだろう。本稿では「住宅確保要配偶者」のうち「低額所得者と被災者」に着目し、住宅政策を構築するための論点提示を試みる。

 

仮設住宅には大きく2種類がある。プレハブと呼ばれる建設仮設住宅と民間賃貸を借りて提供する借り上げ仮設住宅である。東日本大震災を契機に急増したのは後者の借り上げ仮設住宅であった。震災前の想定では、借り上げ仮設住宅は、賃貸住宅関係団体が作成した空き家リストと被災者のマッチングにより提供することとしていた。しかし、震災後の混乱のなかで市町村や被災者に情報が周知されず、リストの作成やマッチング作業の進行よりも、被災者が自ら住宅を借りようとする動きが早かった。そこで被災者が借り上げ条件に沿った民間賃貸住宅に入居した場合、自治体の借り上げ住宅と認めるなど特例措置を講じた。特例措置により借り上げ仮設住宅数は急増し、その戸数及び割合は驚くほど上昇した。

 

特例措置そのものは、被災者の動向やニーズにあった適切な対応であっただろう。しかし、対応が後手にまわった弊害は大きかった。被災救助法としての住宅提供にはすでに被災者と家主が結んだ賃貸契約を県、家主、被災者間での契約に切り替える手続きを要し、それに大変な時間と労力がかかった。建設仮設住宅に合わせて当初二年契約を結び、これを一年延長するごとに更新する手間もかかり、何より、更新を拒否され転居を余儀なくされるという問題も生じた。なお、のちに建設仮設住宅や一定の条件により借り上げ仮設住宅への転居を認めている。

 

このような借り上げ仮設住宅の実態は、現物供与というより家賃補助の意味合いが強いことを物語っており、支援の方法を実態にあわせるべきと考える。被災自治体や会計検査院は今回の経験を踏まえ、現金給付化の必要性を指摘した。住宅の現物供与中心ではなく賃貸の現金給付をすれば、転居の問題もなく、移住権の保障にも繋がる。今後このような改善策を取ることが期待されるが、それが実現しても、重大な論争点が残る。災害救済法に基づく応急的、一時的な措置である以上、住宅の現物でも賃料の補助であっても、いつまで給付し続けるか、という問題である。そこで、震災から23年を経た阪神淡路大震災の例を取り上げたい。

 

避難所から仮設住宅に身を移したあと、被災者が目指すのは仮設ではない安定した住宅の確保である。選択肢は大きく二つある。自宅再建、もしくは災害公営住宅等への入居である。阪神淡路大震災による住宅被害は広域に及ぶが、被災規模が突出していたのは神戸市であった。神戸市は、応急仮設住宅入居者の実態調査から、被災者に高年齢・低所得者が多く、公営住宅等への入居希望が高いという実態を踏まえ、公営住宅供給を計画的に進めた。特に神戸市は、当時の都市基盤設備公団及び民間から借り上げて公営住宅として供給する、借り上げ復興住宅を全国に先駆けて実践した。

 

借り上げ復興住宅に被災経験者は未来永劫住めるのかと思いきや、実は20年の期限を設けていること、それを知った入居者の動揺する様子を2011年末頃に高校生であった私はテレビのニュースを通してみていた。あるニュースでは「阪神淡路大震災の被害者であることによる’’優遇’’、’’特例施策’’をいつまで続けていくべきか」、一般市民、他の住宅困窮者などとの公平性の問題について多くの時間が割かれているとあった。意見交換からは、全体の住宅困窮者からみれば、借上市営住宅入居者はすでに利益を受けてきたわけで、移転する不利益はあっても著しく不利益とはいえない、という議論が読み取れた。

 

このように公平性の問題を議論する上で、問われるべきは「平常時の住宅政策」である。公営住宅の供給は、戸数が限られるなかで、その対象を「住宅に困窮する低所得者」であって「高齢、障害、母子」世帯、最近では「災害被害者、DV被害者、ホームレス、犯罪被害者、子育て世代」といったカテゴリーに合致する住宅困窮者を選ぶ傾向を強めている。対象を限定して、公営住宅に入居できる人と入居できない人の間に生じる不平等に対応しようとするのである。

 

それらに該当する人たちを優先的に入居させ、20年以上経ち、高齢化が進行して困窮者が増した。当然の事態である。その現状を踏まえてか、移転することが必ずしも利益ではないという見解を持つ人も多く現れた。借上市営住宅に住むより、よい介護サービスを受けられるなどといった意見である。この見解にも一理あろうが、神戸市の方針に反して公営住宅に住み続ける自由は制限されて当然なのか、とも思うのである。やはり、平常時の住宅政策が問われなければならない。

 

東日本大震災後の借り上げ仮設住宅に関する特例措置の意義とは裏腹に、政府の対応が後手にまわっていることの問題は大きい。阪神淡路大震災の復興住宅において、20年後に転居しなければならないと知らされた住民の不安は想像して余りある。住宅扶助の基準額改定の背景には「貧困ビジネス」という問題があり、劣悪な環境で暮らす生活保護受給が可能なほど低所得であるにもかかわらず、受給していない生活困窮者が少なくない。その方たちが生活保護受給に繋がり、「健康で文化的な最低限の生活」の拠点となる住宅確保の支援が求められる状況もある。未だなお仮設住宅に居住し続ける人の存在も含め、住居にまつわる問題が引き起こす共通の悩みは、これからの生活が見通せないことではないかと考える。

 

そう考えると、人間である以上当たり前のこととして保障されている権利さえ侵されている人たちが、明日に怯えず暮らしていける社会を実現できるまで、まだ長く時間を要するだろう。

 

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現実を直視することからはじまる共存社会

 

少子高齢化労働人口が右下がりを続ける中で「移民」という言葉を耳にする機会が増えた。そして残念なことだが、少なくともそれは欧米諸国においてネガティブな文脈で語られることが多い。フランスで起きた同時多発テロブリュッセル連続テロ事件、そこで生まれたトランプ大統領の誕生。本稿では「移民」をテーマに日本における彼らの受け入れを考察したい。

 

「移民」という言葉は非常に曖昧である。というのも、移民に定義はあるものの、それは一つではなく、「移民」というテーマで議論がなされる時も、しばし識者の中でもその捉え方が異なる。国連が定める定義では、移住国を12ヶ月以上離れ、移動先の新たな国が通常の居住国となった者を移民と定義している。ここでの指標は、国籍を超えた移動と移動先での居住期間であり、国籍は問われていない。そのため、移動を経験していない二世以降は、このカテゴリーに含まれないが、居住国の国籍を取得した一世は含まれる。また、たとえばフランスでは外国で生まれた出生時にフランス国籍を持っていないものを、アメリカでは永住権を持つ外国人を「移民」と定義しており、前者の「移民」には国連定義と同様、外国人と国民の両者が存在するが、後者の「移民」は外国人の一部である。他方で、ドイツでは移民を定義していないが、外国人労働者との対比で「移民」が捉えられていると推察される。

 

では日本はどのような「移民」の定義を持っているかというと、ドイツ同様、明確な定義を持っていない。だが、アメリカにならって永住を前提に入国を認める外国人を「移民」と捉えており、その意味での「移民」を日本は受け入れていない。本稿では日本国籍取得者を含め、定住している移住一世及びその子孫を広義の「移民」と捉えることにしたい。注:本稿では文脈に応じて「移民」を「外国人」という言葉に置き換えて使用している。

 

日本は移民を政策的にどのように受け入れているのだろうか。戦後、西ドイツやフランスなどは、国外から労働力の調達で不足する国内労働力を補った。一方、日本は、男性正規労働者の長期労働、農村地域からの余剰労働力の吸収、主婦などの非正規雇用労働者の活用によって、国内労働力のみで拡大する労働力需要を満たした。日本は度々、他の先進国から「人口に占める外国人の割合が低い」と外国人受け入れの門戸を広げるように指摘されるが、外国人割合が低いのはこのためである。ただし、高度経済成長期を支えた国内労働力の中には、サンフランシスコ講和条約発効とともに日本国籍を剥奪された旧植民地にルーツを持つ移民が含まれていたことに留意が必要だ。

 

その後、プラザ合意を契機とした周辺アジア諸国との経済格差の拡大、従来の外国人労働者受け入れ国である中東産油国の不況といったプッシュ要因もあり、労働市場の需要に応えるかのように、工場や建設現場、飲食店などで海外からの労働力を多数みかけるようになった。従来は、労働力を送り出す側であった日本も、経済発展とともに豊かになり、少しずつ受け入れ国になってきている。

 

1998年、専門的・技術的労働者は’’可能な限り受け入れる方針で対処する’’、一方で、単純労働者は’’十分慎重に対応する’’という基本方針が閣議決定され、入管法が改定された。この98年の入管法の改定以降、いわゆる「単純労働者」の受け入れの是非が、移動局面の移民の争点の一つとなるが、いかなる職業が「単純労働」に該当するかの明確な区分があるわけではない。入管法が規定する27の在留資格のうち、教授や技能など、就労を目的とする14の在留資格に該当する労働者が専門的・技術的労働者とみなされ、それ以外の職種に従事する者は、入管法上は「単純労働者」に分類され、労働者としての入り口から入国することは認められていない。

 

法務省の調べでは、平成29年6月時点での在留外国人数は約247万人である。専門的・技術的労働者のみではなく、大学や語学学校で学ぶ留学生、専門的・技術的労働者や留学生の家族、途上国への技能等の移転を目的とする技能実習生、日本人や永住者の配偶者など、多様な外国人が日本で暮らしている。

 

外国人雇用状況の届け出をみると、専門的・技術的労働者が全体の2割以下であるのに対し、日系人など就労に制限のない身分または地位に基づく在留資格を持つ外国人、技能実習性、アルバイトする留学生など、専門的・技術的労働者をフロントドアからの来客とすれば、彼らのようにサイドドアからの来客が多数を占め、「単純労働」に従事している外国人も少なくない。コンビニやスーパー、居酒屋など、日頃我々が目にする職場のみでなく、建設現場や産業廃棄物処理工場、ビル清掃やホテルなどのリネンサプライ、農業や水産加工工場など、さまざまな場所で「単純労働者」は働き、日本社会の基盤を支えている。

 

彼らへの処遇の面を考察してみると、国民年金国民健康保険への加入、児童扶養手当の支給、公営住宅への入居が外国人にも認められるようになったのは、国際人権規約や、難民条約の締結、発効を受けてのことである。そのため、在日コリアンやオールドタイマーは十分な社会保障もないなか、厳しい就職差別や住居差別にさらされ、戦後の日本を生き抜かなけれなならなかった。戦後半世紀以上を経て、日本人との格差は次第に縮小しつつあるとはいえ、今なお雇用機会の差別が根差しているという指摘もある。

 

労働基準第三条には「使用者は、労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱いをしてはならない」と明記され、労働制度的平等が保障されているのにもかかわらず、労働相談の現状では、賃金その他の雇用条件において、外国人が平等に扱われていない実態が多く報告されている。

 

彼らの子どもへの教育に関しては制度的平等ですら保障されていない。よく問題とされるのは、義務教育の対象が国民のみであることだろう。その結果、就学年齢相当にあるにもかかわらず、学校に通っていない不就学の子どもが生み出されている。基礎的な学習の機会を剥奪され、社会のルールを学ぶこともなく大人になっていくとしたら、将来の選択肢が極めて限られてしまうことは容易に想像できるであろう。もちろん希望すれば日本人と同様に学校に通うことが認められてはいるが、そこでの教育は、日本人を前提とした日本語での授業である。そのため、日本語の能力が十分でない子どもは、学習上の困難に直面する事になる。不十分な日本語ゆえに授業内容を理解することができず、成績評価が低くなり、高校進学においてもハンデが大きく進学率も低い傾向にある。

 

外国ルーツの子供にとっての壁は日本語だけではない。「同じ」であることが求められがちな日本の学校の中で、彼らが持つ「違い」が正当に評価されず、いじめの原因となったり、自らのルーツを否定したり隠したりしてしまう子どもも多い。その結果、自己肯定感を持てず、社会で生きてゆくための十分な資源を獲得できないまま、若年で労働市場に参入する子どもも少なくはない。

 

労働において、日本人と外国人の間には社会的経済格差が生じていることは前途の通りであり、日本に限らず、国籍を越えた労働力移動において、経済的に貧しい国からの移住一世が、受け入れ社会の低い階層に参入せざるをえない傾向にあることも事実である。だからこそ、彼らを社会の底辺に押しとどめてはならないという教訓を、日本は受け入れ先進国である欧米諸国の経験から学ぶべきではないだろうか。とりわけ、二世以降が、自らの可能性を実現することで、親世代の不平等を克服し、社会経済的に上昇できる環境を整えていくことは極めて重要である。けれども、平等化の措置である教育が、現状ではむしろ格差を再生産するものになってしまっているのである。

 

高校入試における外国人生徒のための特別措置、教員やNPO関係者らによる熱心な指導や支援、本人や家族の懸命な努力によって大学進学を果たし、ロールモデルとして活躍する若者が誕生している一方で、今なお多くの外国ルーツを持つ子どもは、可能性を十分に発揮する機会に恵まれず、時として、この社会に居場所を感じることのないまま生きていかざるをえないのである。

 

繰り返しにはなるが、日本には、旧植民地にルーツをもつオールドタイマーに加え、1990年代後半以降に増加するニューカマー、そして、日本国籍を取得した者や国際結婚の子どもなど外国ルーツの日本人といった移民が暮らしている。しかしながら、ホスト社会の我々の多くがこの事実に気づいていない。彼らの存在に関心を払うことなく、民族や文化の異なる人々をどのように社会に迎え入れるかを学び合う機会もほとんどない。移民を排除しようと、ヘイトスピーチやヘイト運動を行うのは一部の人かもしれないが、我々の多くはそのような排除を黙認・放置してしまっているのであろう。

 

彼らがおかれている状況についても同様である。彼らが、制度的不平等や実質的不平等ゆえに、社会経済不平等を経験し、格差が世代を超えて再生産される傾向にあることに、我々の多くは無関心なのではないだろうか。このような態度に対する反省なしに、人口減少・労働力不足への対応として、より多くの移民の受け入れを進めても、容易に排外主義に共感する者を排出してしまうのだろう。

 

「我々」と「彼ら」という境界を超えて、日本社会を共につくる対等な構成員として向き合うことが一人一人に求められている。

 

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