Nextepisode’s blog

院生(M1) 専門-開発経済/国際関係

世帯年収800万の壁

 

f:id:Nextepisode:20170829133601j:image 

 

‪子供2人育てるのに世帯年収800万が必要という意見がある。子育てというのは経済学でいう一種の"費用逓減"のようなもので、例えば子供2人育てるのに年間100万円がかかるとして、2人目を育てるのに更に100万円が必要かというとそうではなく、長女が1、2回しか使用しなかった洋服を妹におさがりとして着させたり、一回の食事で皆が食べることを考えれば一人当たりにかかる食費は人数に比例しない。

 

ということを考えると、子供一人育てるのに世帯年収が800万必要ということは、子供一人育てる場合の世帯年収は500-550万円といったところだろうか。

 

f:id:Nextepisode:20170829133635j:image

 

日本人の世帯当たりの年収の平均値と中央値を見てみよう。2009年では平均値は549万円、中央値は438万円となっている。

 

f:id:Nextepisode:20170829134607j:image

 

 

次に男女の年齢別に年収を見てみると、男性で平均年収が500万円を突破するのが35歳〜となっている。従って子供一人を育てるには①夫婦共働きをする②夫の年収が500万に達する35歳〜から子供を育てる、のどちらかの条件を満たす必要がある。

 

子供一人育てるのに世帯年収で500万円が必要だというと、特に地方の者からすれば懐疑的で、そこまで子育てはお金のかかるものではないという者もいるだろう。しかし少子化を経験している中国を見てみると、近年子供一人にかける費用が右肩上がりだ。実はこれは日本でも同様のことが言える。激しい中学受験のために子供に幼児期から習い事をさせ、都市化の波に乗るように地方からどんどん都市部へと移住する人が増え、それに伴って収入の上昇以上に出ていくお金が多くなる。著者自身、公立中学に通う子供の歴史や国語の教科書を見て、将来の自分の子供に公立に通わせるという選択肢がなくなった。また教育一つにしてみても、今後は受ける側に選択肢が増え多様化し、より高いサービスをより高いお金で受けられる機会が増えてくる。

 

このようなことを考えると、子供一人育てるのに世帯年収で500万、二人育てるのに世帯年収で800万円という一つの基準はかなり妥当な基準だと言えるのではないだろうか。

近況報告

 

今年の暑さは例外なく厳しいものでした。もう少しの辛抱ですね。私は秋が一番過ごしやすいと感じます。

 

8月の前半は日本各地を旅行していたので、もう少し余韻に浸りたいところですが、今日からは集中して勉強しようと思います。

 

近況報告ということで、研究計画書がようやく完成しました。と言っても先月のことです。

 

f:id:Nextepisode:20170828171347j:image

f:id:Nextepisode:20170828171350j:image

 

また以前受けたトイックの点数が帰ってきました。

 

f:id:Nextepisode:20170828171447j:image

 

正直受験時の記憶は曖昧ですが、少しだけ自信はありました。ちなみに受験するにあたり試験対策はしていませんが、研究の関係で日頃から英語に触れる時間があったことがおおきかったように思います。当日時計を忘れて終了30秒前に終わったことは覚えています。

 

さしあたり「集中力」が私の課題になりそうです。

 

では

 

人口集中で広がる格差

 

世界では史上比類ないスピードで都市化が進んでいる。日本でも近年東京や大阪などの都市部に地方から移動してくる人が絶えず、地方分権を強化し、都市部から地方へ人口を戻そうとする動きも加速してきた。

 

人口増加に関しては以前別の記事で少し触れたのだが、都市化に関しては触れてこなかった。そこで今回は、都市化について簡潔に現状を把握しておきたい。

 

都市化と聞くとしばし批判的に捉えられる傾向にある。著者自身、たとえ都市化によって物流コストが下がり、労働が集約する事により経済活動の生産性が上がるといった恩恵の側面があるとしても、すぐにでも都市への人口集中を抑制させるべきだと考えている。著者がそう考える理由は最大公約数的に言えば一つである。格差を増やさないためだ。

 

既に述べたように都市化はいくつかの機会をもたらすが、その機会は決して公平に行き渡っておらず、結果として格差が広がってきている。ある一定の都市生活者は、他の住民よりもはるかに不健康な環境で生活することを余儀なくされている。とりわけ途上国では、結果として超高層ビルの足下でスラムが形成され、その規模も広がりつつある。

 

WHOでは都市部への人口の集中により、劣悪な移住条件、食料や水の安全性に関する問題、衛生設備や固形廃棄物処理不備、大気汚染や過剰な交通量を挙げている。

 

私もフィリピンの首都マニラ、ケニアの首都ナイロビ、インドネシアの首都ジャカルタなど都市化が急速に進む都市を訪れたが、やはり渋滞が多く、排気量度外視から空気は汚染され、上下水道の設備が不足している平屋が多くあるのを目にした。

 

そのような状況を改善させようと、国及び地方自治体の行政機関は都市化に伴う課題に取り組んではいるが、ほとんどの場合、都市生活者の安全と健康に欠かせない基本的インフラの構築のペースが急激な人口増加に追いついていないのである。また途上国では特に、仕事が決まる以前に農村部から都市部に移住してくる人が多く、結果としてスラムの拡大に繋がっている。

 

思えば、人口が100万人から800万人に増えるのに、ロンドンでは130年かかったのに対し、バンコクでは45年、ソウルでは25年でその増加を成し遂げた。また近年では、カンボジアプノンペン、メキシコのティファナ、モロッコマラケシュ、ナイジェリアのラゴスなどでは、年間4%の人口が増え、17年後には人口は倍増すると予測されている。このままいけば2050年には全世界で10人に7人が都市部に移住することになる。

 

日本では都市化から発生する問題以上に恩恵を語る場が多く設けられている現状がある。今後はマイナスの側面に関しても活発に議論し合える場が増えればと願う。

 

f:id:Nextepisode:20170826183217j:image

 

使える学問とは?

 

先日、大阪大学の文学部長が今年3月に開かれた阪大の卒業式の式辞で話した内容が注目を集めた。リンク)https://togetter.com/li/1131380

 

内容は「今の時代に文学部は必要なのか?」という社会の疑問に対する学部長の見解である。

 

結論から言えば、私は彼の意見には全面的に同意する。一方で彼の意見に対して辛辣的に批判する人達が多いことを考えると、時代的にもかなりセンシティブなトピックなのであろう。

 

そこでこの記事では「では役に立つ学問てなんぞや」という点を敷衍して考えていきたいと思う。

 

最近は文学部のみではなく、神学部や哲学部など、実用的ではない学問は廃止して実用的なことのみを大学で教えるべきだという意見が増えてきた。

 

実用的という意味では、理学部で教えている学問の大部分は実用的ではない。数学科を卒業して、コホモロジー理論やガロア理論、表現論、スキーム論、多様体論、測度論といったものを使っている先輩達は極一部である。

 

これは物理学科でも同じで、量子力学相対性理論のような基本的な物理であっても卒業してから使っている人は殆どいないだろう。

 

では「将来使わないから」を理由にいわゆる役に立つ内容のみを学生に教えれば彼らは世の中で活躍できるかというと、私はそうは思わない。

 

コホモロジー理論や量子力学は確かに実用的ではないが、これを理解するのは、講義に出て座っているだけでは不可能である。自分で頭を絞って考えないと理解できない。

 

たとえば、ハーン・バナッハの拡張定理は

「バナッハ空間の閉部分空間上定義された有界線形汎関数は、ノルムを変えることなく全空間に拡張できる。」

と簡単に述べられるが、これを理解しようとすると一朝一夕には行かない。こういったことを頭を絞って考えることに大学教育の意味があるのである。

 

そうやって頭を使う機会が減ってしまうと自分で考えることが出来ない学生を量産することになってしまう。抽象的な概念が出てくると、途端に混乱してしまい、「何かよい参考書や、問題集はありますか?」という質問をよく受けるのはそういった学生が多いなと実感としてはある。

 

大学教育の価値は、その教育内容ではなく、自分の頭で考える機会を得ることにあるのだと思う。

 

ゆえに文学部や哲学部など確かに学問的ではないかもしれないが、頭を使わず簡単に結果が出るような勉強をしたところで、それは簡単に使い物にならなくなってしまうだろう。

 

f:id:Nextepisode:20170731210925j:image

 

 

英語が読めない人。

 

こんにちは。

 

私はつい最近までは英作文の添削や英語の指導を無料で行っていたのですが、現在は月謝制で生徒を抱えているので、彼らに教えていることと同じことを1から100まで教えると自分の生徒に対し心苦しく思えてしまうので、友人と話していても英語の話は以前よりも意図的に減らしたような気がします。まあこれは指導者の価値観や主義によって千差万別だと思います。

 

ですが今日は英文の読解に関して少しだけ書いていきたいと思います。というのも自分では英語の文章をきちんと読解できていると思っていても、案外できていないものだからです。書かれた文章を読んで内容を理解することを読解と言いますが、例えば圧倒的に語彙不足であったり、そもそも構文や文法を理解できていなかったり、読解ができない原因はいくつか考えられます。ですが、英語で書かれた新聞やニュースの記事を読んでいると、単語や構文、文法をある程度理解している人でも、しばし文章を読解できないという状態に陥るのです。今回は2つの例文をあげて本当の意味での読解を解説していきたいと思います。

 

Early in the morning of May 12th, an investor did something without precedent in modern times. He( for this is Japan) lent money to the Japanese goverment for three yaers at 1.111 percent, a record low.

 

この英文に出てくる文章に使われている文法や単語はあまり難しいものではありません。しいて言うならば、precedent(前例/慣例)という単語ぐらいではないでしょうか。それでもこの単語は英検2級レベルの単語です。で、この文章を日本語で訳してみると

 

5月12日の朝、ある投資家が近年では先例のない投資を行った。彼は(この場合は日本)1.111パーセントという史上最低の利率で日本政府に3年間お金を貸すことにしたのだ。

 

この日本語訳を見てみると文法的にも語彙的にも間違っていないように思えます。おそらくテストでこのように訳しても満点を取れるのではないでしょうか。しかし、この日本語訳をみてなにか読みづらいなと感じませんか?

 

まず、lent money to the Japanese government for three yearsとは、どのような行為を指しているのでしょうか?ここでの”日本政府にお金を貸す’’というのは”政府が発行する国債を買う”ことを意味します。従って、’’3年間お金を貸す’’とは’’3年後に返済される予定の国債を購入する’’ということです。ですので、単に「5月12日にある一人の投資家が史上最低の利率で日本政府に3年間お金を貸した」と考えるだけでは不十分で、つまり「5月12日に日本の国債の利回りが史上最低まで下がった」というところまで読み取らなければいけないのです。

 

またこの文章から読み取れることがもう1つあります。それはHe(for this is Japan)という部分です。実はもう気づかれた方もいらっしゃると思いますが、Heというのはan inventorを指します。ですがここでHeを使用すると性差別だとみなされる傾向があります。従ってこの場合、He or Sheと表現するか、an investorをinvestorsと複数にしてtheyで受けることが多くなっています。しかし、この著者は’’そんなことは知っている。だがあえて使用しているのだ!’’という意味でfor this is Japanと付け加えているのです。つまり、「日本はまだ男性社会であり、Heを使っても性差別とは騒がれないだろう」と暗示しているのです。

 

日本人の感覚では、英文を日本語に訳すことさえできていれば’’理解した’’ことになってしまい、それ以上の意味を考えようとしない人が多いです。ですのでいつまでたっても本当は読解ができていない自分に気づかないのです。

 

ではもう一例だけ取り上げさせていただきます。

 

The similarities between Mr Blair and Mr Clinton are obvious. Both are young, personable and telegenic leaders who succeeded older, greyer men.

 

これを和訳すると、ブレア氏とクリントン氏の類似点は明らかである。二人とも、より年配で白髪の男たちの後を引き継いだ、若く、ハンサムなテレビ映りのよい指導者である。

 

succeedという動詞からこのolder,greyer manというのはブレア首相とクリントン大統領の前任者である、メジャー氏とブッシュ氏のことを指していることが推測できます。ですのでこの文章でたとえメジャー氏とブッシュ氏が言及されていなくとも、succeedという動詞からこのolder,greyer menというのは彼らを指していると読み取らなければなりません。

 

ここまできちんと読み解くことができた時、ようやく「読解ができた」と言えるのではないでしょうか。

 

では

 

 f:id:Nextepisode:20170728141134j:image

 

 

 

 

 

 

 

今後の研究に関して。

 

こんばんは。

 

花火の音が聞こえる時期になりましたね。

 

最近は身の回りのことでかなり立て込んでいて8月の2週目ぐらいまではバタバタすることになると思います。

 

さて、今後の研究に関してですが、一応研究計画書を書き終えたので載せておこうと思います。

 

至らない点は多くあると思いますが、その点は今後の研究の過程で補っていければと考えています。また、許可なく無断での使用はお断りさせていただきます。

 

 f:id:Nextepisode:20170726003414j:image

 

f:id:Nextepisode:20170726003327j:image

 

私はこれまで女性教育に関心があり勉強をしてきました。世界では未だ教育を十分に受けることが出来ない児童が多くいます。教育へのアクセスが困難な要因はいくつか考えられますが、その中で私は女性の教育を児童婚の視点から探っていこうと考えました。

 

とりあえずやるべき事が山積みですので、一つ一つ片付けていこうと思います。

 

 

 

 

もう一度"生きる"を考えてみる。

 

7月の頭にイギリス人の友人が日本に旅行に来ました。その時の記事は以下で見れます。↓

 

nextepisode.hatenablog.com

 

 

彼と再会した時に、彼は1冊の本をイギリスからお土産として持ってきてくれました。

 

 

The 100-Year Life: Living and Working in an Age of Longevity

The 100-Year Life: Living and Working in an Age of Longevity

 

 

 

THE 100 YEAR LIFE(100年の人生)という本です。

 

今回はこの本を読んだ感想と、この本に書いてある内容にかなりの部分で共感したので、要約程度に自分なりにまとめ、もう一度"これから"を考えていこうと思います。

 

f:id:Nextepisode:20170716161939g:plain

 

上のグラフはアメリカ人と日本人の平均寿命の推移を表したグラフです。グラフからは様々なことが見て取れるのですが、何よりも、1950年の日本人の平均寿命は男女ともに約50歳でした。それが60年後には、男性の平均寿命は80歳まで上がり、女性に至っては80歳をかなり超えちゃっています。そして今日産まれてくる子供は110歳まで生きるなんて言われる時代になりました。

 

110歳というと、65歳で定年退職したとして、45年間の老後生活を送ることになるわけです。想像しただけで身震いが起きますよね。

 

いや、でもちょっと待ってください。

 

そもそも今の65歳退職というのは、もともと人間はそこまで長く生きることはなかったがゆえに65歳に設定されたのであって、そもそも今日の長寿時代には合わないのではないのでしょうか?

 

老後期間が長い、、どうしよう。

定年した後でまだまだ生きないといけない。お金はどうしよう。

 

多くの人が晩年の過ごし方ばかりに気をかけています。

 

そうやって老後の生き方ばかり考えている人が多いような気がするのですが

 

本当にそれでいいのでしょうか?

 

 

教育→仕事→引退のように、同世代が一斉行進し一斉後退する時代は終わり、多くの人が独自のキャリアを形成し生きていかなければならない時代になったように思います。

 

例えばOECDの加盟国の大学平均入学年齢は22歳です。日本は18歳で高校を卒業した後に、直接大学や専門学校に行く人がほとんどです。一方で、欧州の学生は高等教育を終了した後、直接進学せずに社会経験や旅行に行ったり、机上の勉強から一定期間距離を置いて、必要と感じた時に大学に戻ってくるケースが多いです。

 

どちらのキャリア形成が理想なのでしょうか?個人的には、すでに自分の夢や目標があってすぐにでも大学で勉強したいんだ、と感じる一部の学生を除いて、特に早急に進学する理由のない人は一度教育機関から離れてみるべきだと思っています。

 

仕事に関して言うと、従来の生き方では終身雇用や、少しでも長く同じ会社にいることが価値であるとみなされていた悪しき風潮が日本には確かにありましたが、もうそういう社会ではなくなりました。仕事をして頭打ちになったら大学に戻ったり、異なる業種の仕事に転職したりということがすごく大事になってきました。

 

人間一人が出来ることは限られているのですが、それでも一人一人の能力やスペックが人によって大きく違うようになってくると思います。

 

そういう時代には何が大事なのかというと、まずは無形資産を大事にすることです。ここでいう無形資産とは、人脈や知識や健康などのことです。

 

人脈とはどんな人間でもとりあえず関わる人間の幅を増やすということです。自分と異なる人や、自分よりも少し前に進んでいる人と会い、無限に吸収することで得られることは多いです。

 

知識とは例えば読書をすることです。すでにある自分のアイデアに知識を加えればそれが知恵に変わります。その知識の蓄積方法として、人に会ったり、本を読んだりすることは重要だと思います。私の友人でもある程度本を読んでいる人は、生きている過程で様々な問題に直面したとしても動揺せず、解決する解決策を多く持っている気がします。また吸収も早いです。

 

健康でいることもとても大事です。例えば私は年に2、3回無理矢理にでも時間を作り旅行に行くようにしています。行き先はその時のフィーリングで決め、これまでアフリカやヨーロッパに行ってきましたが、やはり学生であれ社会人であれ、旅行に行くことはすごく大事だと思います。旅行に行く目的は何でもいいです。美味しい食べ物が食べたい、世界遺産を見た、多文化を感じたい、どんな目的であれ、旅行前には想像もしていなかった出会いや発見があります。そのような”知”は旅行を通じてのみでしか得ることができません。

 

今日の、複雑で生きにくい社会であるからこそ、自分で考え生きていく必要があるように思います。そこに大学が必要であれば行けばいいし、必要でなければ行かなくても良いし、大学といっても日本である必要はないし、別に通信制でも全然良いのです。

 

今の時代に一番ダメなのは、自分の芯を持たずに周囲に流されることだと思います。

 

私たちは単に長く生きられるようになったのではなく

健康に長く生きられるようになったのです。

 

ですので、従来のキャリアの考え方に疑問を抱き、自分の人生に自分だけのキャンパスを描く必要があります。

 

リスクを負わない生き方が一番のリスクある生き方なのでしょう。

 

そして何よりも”楽しく生きる”を忘れてはいけないと思います。

 

時間を無駄にせず、周りには謙虚に、無形資産を大切に生きていきたいです。