Nextepisode’s blog

国際政治/開発/大学生

使える学問とは?

 

先日、大阪大学の文学部長が今年3月に開かれた阪大の卒業式の式辞で話した内容が注目を集めた。リンク)https://togetter.com/li/1131380

 

内容は「今の時代に文学部は必要なのか?」という社会の疑問に対する学部長の見解である。

 

結論から言えば、私は彼の意見には全面的に同意する。一方で彼の意見に対して辛辣的に批判する人達が多いことを考えると、時代的にもかなりセンシティブなトピックなのであろう。

 

そこでこの記事では「では役に立つ学問てなんぞや」という点を敷衍して考えていきたいと思う。

 

最近は文学部のみではなく、神学部や哲学部など、実用的ではない学問は廃止して実用的なことのみを大学で教えるべきだという意見が増えてきた。

 

実用的という意味では、理学部で教えている学問の大部分は実用的ではない。数学科を卒業して、コホモロジー理論やガロア理論、表現論、スキーム論、多様体論、測度論といったものを使っている先輩達は極一部である。

 

これは物理学科でも同じで、量子力学相対性理論のような基本的な物理であっても卒業してから使っている人は殆どいないだろう。

 

では「将来使わないから」を理由にいわゆる役に立つ内容のみを学生に教えれば彼らは世の中で活躍できるかというと、私はそうは思わない。

 

コホモロジー理論や量子力学は確かに実用的ではないが、これを理解するのは、講義に出て座っているだけでは不可能である。自分で頭を絞って考えないと理解できない。

 

たとえば、ハーン・バナッハの拡張定理は

「バナッハ空間の閉部分空間上定義された有界線形汎関数は、ノルムを変えることなく全空間に拡張できる。」

と簡単に述べられるが、これを理解しようとすると一朝一夕には行かない。こういったことを頭を絞って考えることに大学教育の意味があるのである。

 

そうやって頭を使う機会が減ってしまうと自分で考えることが出来ない学生を量産することになってしまう。抽象的な概念が出てくると、途端に混乱してしまい、「何かよい参考書や、問題集はありますか?」という質問をよく受けるのはそういった学生が多いなと実感としてはある。

 

大学教育の価値は、その教育内容ではなく、自分の頭で考える機会を得ることにあるのだと思う。

 

ゆえに文学部や哲学部など確かに学問的ではないかもしれないが、頭を使わず簡単に結果が出るような勉強をしたところで、それは簡単に使い物にならなくなってしまうだろう。

 

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英語が読めない人。

 

こんにちは。

 

私はつい最近までは英作文の添削や英語の指導を無料で行っていたのですが、現在は月謝制で生徒を抱えているので、彼らに教えていることと同じことを1から100まで教えると自分の生徒に対し心苦しく思えてしまうので、友人と話していても英語の話は以前よりも意図的に減らしたような気がします。まあこれは指導者の価値観や主義によって千差万別だと思います。

 

ですが今日は英文の読解に関して少しだけ書いていきたいと思います。というのも自分では英語の文章をきちんと読解できていると思っていても、案外できていないものだからです。書かれた文章を読んで内容を理解することを読解と言いますが、例えば圧倒的に語彙不足であったり、そもそも構文や文法を理解できていなかったり、読解ができない原因はいくつか考えられます。ですが、英語で書かれた新聞やニュースの記事を読んでいると、単語や構文、文法をある程度理解している人でも、しばし文章を読解できないという状態に陥るのです。今回は2つの例文をあげて本当の意味での読解を解説していきたいと思います。

 

Early in the morning of May 12th, an investor did something without precedent in modern times. He( for this is Japan) lent money to the Japanese goverment for three yaers at 1.111 percent, a record low.

 

この英文に出てくる文章に使われている文法や単語はあまり難しいものではありません。しいて言うならば、precedent(前例/慣例)という単語ぐらいではないでしょうか。それでもこの単語は英検2級レベルの単語です。で、この文章を日本語で訳してみると

 

5月12日の朝、ある投資家が近年では先例のない投資を行った。彼は(この場合は日本)1.111パーセントという史上最低の利率で日本政府に3年間お金を貸すことにしたのだ。

 

この日本語訳を見てみると文法的にも語彙的にも間違っていないように思えます。おそらくテストでこのように訳しても満点を取れるのではないでしょうか。しかし、この日本語訳をみてなにか読みづらいなと感じませんか?

 

まず、lent money to the Japanese government for three yearsとは、どのような行為を指しているのでしょうか?ここでの”日本政府にお金を貸す’’というのは”政府が発行する国債を買う”ことを意味します。従って、’’3年間お金を貸す’’とは’’3年後に返済される予定の国債を購入する’’ということです。ですので、単に「5月12日にある一人の投資家が史上最低の利率で日本政府に3年間お金を貸した」と考えるだけでは不十分で、つまり「5月12日に日本の国債の利回りが史上最低まで下がった」というところまで読み取らなければいけないのです。

 

またこの文章から読み取れることがもう1つあります。それはHe(for this is Japan)という部分です。実はもう気づかれた方もいらっしゃると思いますが、Heというのはan inventorを指します。ですがここでHeを使用すると性差別だとみなされる傾向があります。従ってこの場合、He or Sheと表現するか、an investorをinvestorsと複数にしてtheyで受けることが多くなっています。しかし、この著者は’’そんなことは知っている。だがあえて使用しているのだ!’’という意味でfor this is Japanと付け加えているのです。つまり、「日本はまだ男性社会であり、Heを使っても性差別とは騒がれないだろう」と暗示しているのです。

 

日本人の感覚では、英文を日本語に訳すことさえできていれば’’理解した’’ことになってしまい、それ以上の意味を考えようとしない人が多いです。ですのでいつまでたっても本当は読解ができていない自分に気づかないのです。

 

ではもう一例だけ取り上げさせていただきます。

 

The similarities between Mr Blair and Mr Clinton are obvious. Both are young, personable and telegenic leaders who succeeded older, greyer men.

 

これを和訳すると、ブレア氏とクリントン氏の類似点は明らかである。二人とも、より年配で白髪の男たちの後を引き継いだ、若く、ハンサムなテレビ映りのよい指導者である。

 

succeedという動詞からこのolder,greyer manというのはブレア首相とクリントン大統領の前任者である、メジャー氏とブッシュ氏のことを指していることが推測できます。ですのでこの文章でたとえメジャー氏とブッシュ氏が言及されていなくとも、succeedという動詞からこのolder,greyer menというのは彼らを指していると読み取らなければなりません。

 

ここまできちんと読み解くことができた時、ようやく「読解ができた」と言えるのではないでしょうか。

 

では

 

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今後の研究に関して。

 

こんばんは。

 

花火の音が聞こえる時期になりましたね。

 

最近は身の回りのことでかなり立て込んでいて8月の2週目ぐらいまではバタバタすることになると思います。

 

さて、今後の研究に関してですが、一応研究計画書を書き終えたので載せておこうと思います。

 

至らない点は多くあると思いますが、その点は今後の研究の過程で補っていければと考えています。また、許可なく無断での使用はお断りさせていただきます。

 

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私はこれまで女性教育に関心があり勉強をしてきました。世界では未だ教育を十分に受けることが出来ない児童が多くいます。教育へのアクセスが困難な要因はいくつか考えられますが、その中で私は女性の教育を児童婚の視点から探っていこうと考えました。

 

とりあえずやるべき事が山積みですので、一つ一つ片付けていこうと思います。

 

 

 

 

もう一度"生きる"を考えてみる。

 

7月の頭にイギリス人の友人が日本に旅行に来ました。その時の記事は以下で見れます。↓

 

nextepisode.hatenablog.com

 

 

彼と再会した時に、彼は1冊の本をイギリスからお土産として持ってきてくれました。

 

 

The 100-Year Life: Living and Working in an Age of Longevity

The 100-Year Life: Living and Working in an Age of Longevity

 

 

 

THE 100 YEAR LIFE(100年の人生)という本です。

 

今回はこの本を読んだ感想と、この本に書いてある内容にかなりの部分で共感したので、要約程度に自分なりにまとめ、もう一度"これから"を考えていこうと思います。

 

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上のグラフはアメリカ人と日本人の平均寿命の推移を表したグラフです。グラフからは様々なことが見て取れるのですが、何よりも、1950年の日本人の平均寿命は男女ともに約50歳でした。それが60年後には、男性の平均寿命は80歳まで上がり、女性に至っては80歳をかなり超えちゃっています。そして今日産まれてくる子供は110歳まで生きるなんて言われる時代になりました。

 

110歳というと、65歳で定年退職したとして、45年間の老後生活を送ることになるわけです。想像しただけで身震いが起きますよね。

 

いや、でもちょっと待ってください。

 

そもそも今の65歳退職というのは、もともと人間はそこまで長く生きることはなかったがゆえに65歳に設定されたのであって、そもそも今日の長寿時代には合わないのではないのでしょうか?

 

老後期間が長い、、どうしよう。

定年した後でまだまだ生きないといけない。お金はどうしよう。

 

多くの人が晩年の過ごし方ばかりに気をかけています。

 

そうやって老後の生き方ばかり考えている人が多いような気がするのですが

 

本当にそれでいいのでしょうか?

 

 

教育→仕事→引退のように、同世代が一斉行進し一斉後退する時代は終わり、多くの人が独自のキャリアを形成し生きていかなければならない時代になったように思います。

 

例えばOECDの加盟国の大学平均入学年齢は22歳です。日本は18歳で高校を卒業した後に、直接大学や専門学校に行く人がほとんどです。一方で、欧州の学生は高等教育を終了した後、直接進学せずに社会経験や旅行に行ったり、机上の勉強から一定期間距離を置いて、必要と感じた時に大学に戻ってくるケースが多いです。

 

どちらのキャリア形成が理想なのでしょうか?個人的には、すでに自分の夢や目標があってすぐにでも大学で勉強したいんだ、と感じる一部の学生を除いて、特に早急に進学する理由のない人は一度教育機関から離れてみるべきだと思っています。

 

仕事に関して言うと、従来の生き方では終身雇用や、少しでも長く同じ会社にいることが価値であるとみなされていた悪しき風潮が日本には確かにありましたが、もうそういう社会ではなくなりました。仕事をして頭打ちになったら大学に戻ったり、異なる業種の仕事に転職したりということがすごく大事になってきました。

 

人間一人が出来ることは限られているのですが、それでも一人一人の能力やスペックが人によって大きく違うようになってくると思います。

 

そういう時代には何が大事なのかというと、まずは無形資産を大事にすることです。ここでいう無形資産とは、人脈や知識や健康などのことです。

 

人脈とはどんな人間でもとりあえず関わる人間の幅を増やすということです。自分と異なる人や、自分よりも少し前に進んでいる人と会い、無限に吸収することで得られることは多いです。

 

知識とは例えば読書をすることです。すでにある自分のアイデアに知識を加えればそれが知恵に変わります。その知識の蓄積方法として、人に会ったり、本を読んだりすることは重要だと思います。私の友人でもある程度本を読んでいる人は、生きている過程で様々な問題に直面したとしても動揺せず、解決する解決策を多く持っている気がします。また吸収も早いです。

 

健康でいることもとても大事です。例えば私は年に2、3回無理矢理にでも時間を作り旅行に行くようにしています。行き先はその時のフィーリングで決め、これまでアフリカやヨーロッパに行ってきましたが、やはり学生であれ社会人であれ、旅行に行くことはすごく大事だと思います。旅行に行く目的は何でもいいです。美味しい食べ物が食べたい、世界遺産を見た、多文化を感じたい、どんな目的であれ、旅行前には想像もしていなかった出会いや発見があります。そのような”知”は旅行を通じてのみでしか得ることができません。

 

今日の、複雑で生きにくい社会であるからこそ、自分で考え生きていく必要があるように思います。そこに大学が必要であれば行けばいいし、必要でなければ行かなくても良いし、大学といっても日本である必要はないし、別に通信制でも全然良いのです。

 

今の時代に一番ダメなのは、自分の芯を持たずに周囲に流されることだと思います。

 

私たちは単に長く生きられるようになったのではなく

健康に長く生きられるようになったのです。

 

ですので、従来のキャリアの考え方に疑問を抱き、自分の人生に自分だけのキャンパスを描く必要があります。

 

リスクを負わない生き方が一番のリスクある生き方なのでしょう。

 

そして何よりも”楽しく生きる”を忘れてはいけないと思います。

 

時間を無駄にせず、周りには謙虚に、無形資産を大切に生きていきたいです。

 

 

 

Difference between right now and right away.

 

"Right now" is used more in situations where you are either about to do the thing or you are actively doing the thing. "Right away" means you will do the thing as soon as possible, but doesn't mean that you are actively doing the thing. The two phrases are interchangeable when you mean to say that you will do the thing next/as soon as possible.

They do have slightly different nuances, but let me think of how to explain....

I suppose it just depends on the person, but "right away" is a bit more polite when asking someone to do something as soon as possible. Asking someone to do something "right now" is a bit more accusatory, as in you did something wrong and need to fix it. Ex: "I need you to fix this report right now." It also gives a request a more serious edge. "I need you to take this there right now," is emphatic and almost rude. It might be said when the person making the request is frustrated. "Right away" is more gentle/polite when you ask someone to do something.

Did that make sense ?f:id:Nextepisode:20170714133124j:image

晴れぬアフリカの憂鬱

 

 

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2016年2月26日ー3月5日、私はケニア渡航した。中学生の頃から抱いていたアフリカの地に行ってみたいという憧れが実現した瞬間であった。別名「野生の王国」と呼ばれるケニアには11の国立自然公園と3つの国立保護公園があり、サファリパークと言われて真っ先にケニアを浮かべる人も少なくないだろう。

 

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私が拠点を置いた首都のナイロビは、東アフリカの政治、経済、文化の中心地である。我々はアフリカ大陸にある国というと、人々が散在し暮らしている様子を思い浮かべてきた。しかしながら、今日、アフリカでは未曾有の人口増加が深刻な問題となっている。国連の最新の予想値では2100年に世界の人口は111億人を超え、とりわけアフリカの人口は現在の12億人から50億人ほどに膨れ上がる可能性があると発表した。

 

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筆者はこのアフリカの急激な人口増加を地球規模での直近の問題であり、程度の差こそあれ、避けることはできないと覚悟している。しかしながら、世界各地で成功した人口抑制の成功体験を上手くナレッジマネジメントできれば、その衝撃を緩和することは十分に可能だと確信している。

 

本論ではアフリカ大陸で他の大陸よりも極めて人口増加が進んでいることを踏まえ、アフリカの人口増加に焦点を当て、人口増加が進むとどのような問題が浮上し、我々はどのように解決していくべきかということを探るために書く。

 

 20111031日、世界の人口は70億人を超えた。筆者が本論を書いている2017年7月の世界の人口が約741021万人だということを踏まえれば、この5年間で世界の人口は約4億1000万人増えたことになる。

 

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図1 

 

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 図2

 

 まずは図1上のベイル係数を見て欲しい。これは2015国連が発表した2100年までの人口増加予測値である。国連2050年に世界の人口は97億人を超え、2100年までには世界の人口は111億人を超えると予測している。20167月現在の人口が741000万人だということを踏まえれば、2100年までに世界の人口は1/3も増えることになる。

 

続いて図2下のグラフを見ていただこう。こちらも国連が発表したグラフで、大陸別に人口増加を予測している。このグラフを見て驚かれた方も多いと思うが、アフリカの人口だけ特筆して右肩上がりなのである。アジアの人口増加は2050−60年を境に次第に減少し始め、ヨーロッパ、北アメリカ、ラテンアメリカでは人口の上限が殆どないことが見て取れる。アフリカ大陸での人口増加率は注目に値する。

 

 

 

人口が増えるとはどういうことか。端的に言えば、失う生命より、新たに生まれる生命の方が多いということである。ではこれは問題なのか?また問題だというのであれば、何が問題なのだろうか?

 

人口が増えるということは1人当たりに行き渡る食料の量が減るということは周知の事実である。例えば、ある国の人口が10人だとして、そこに輸入された米が100Kgあるとする。この人数では1人当たり10Kgの米を得ることができるのだが、もし国の人口が20人であれば、1人当たりが得れる米の量は5Kgに減る。別言すれば、人口増加に比例して食料生産率が上昇すれば1人当たりに行き渡る食料の量に変わりはない。しかし地球は有限の場所であり、必ず限界がくる。現状でさえ人口増加率に食料生産率が追いついていながゆえ、世界各地で飢餓がや紛争が多発している。以上のことを合理的に考えれば、我々が為すべきことは食料生産量の増加ではなく、人口抑制なのだということがわかる。

 

人口問題を考える上で合計特殊出生率を分けて探ることは不可能である。合計特殊出生率とは「一人の女性が一生の間に産む子どもの数」であり、これは歴史人口学で用いられる「人口当たりの出生率」とは異なるので注意が必要だ。2015年に厚生労働省が発表した日本の合計特殊出生率1.46であった。これは日本人の女性が生涯で産む子どもの数が1.46人であることを示している。驚くべきことにこの数字は1950年代前半と比べると半減している。2015年に国連が公表した世界の出生率を見てみれば、2015年時点で世界の平均の合計特殊出生率2.5であった。大陸別にみればアフリカ4.7オセアニア2,4、アジア、ラテンアメリカ、カリブ2.2、一番低いヨーロッパで1.6であった。日本はアジアの平均よりか、また最低レベルのヨーロッパの平均以上に低い合計特殊出生率にあるのである。本論では日本の出生率の低さについてを探求するのは、別の機会に譲ることにしたい。今回注目するのはアフリカの合計特殊出生率の高さである。

 

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図3

 

ここで上の図3を見てほしい。この棒グラフは全世界で合計特殊出生率の高い国を上から20ヶ国挙げたものである。驚くべきことにトップ20の国の内、アフリカに属する国は18ヶ国もある。上位9位までアフリカの国が占める。トップはニジェール6.76にはじまり、続いてブルンジ6.093位のマリの6.06と続く。

 

ではなぜアフリカの国々は他の陸の国々が人口減少で悲鳴をあげる中、一貫して出生率が高いのか。以下で解説していきたい。

 

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なぜアフリカなのか?

 

 

なぜアフリカで著しい出生率の高さがみられるのか。筆者はアフリカでの滞在を通じて主に2つの背景があることを感じた。1つはアフリカの人々は大家族を社会的なステータスと捉えているということである。アフリカと聞いて、日本やアメリカのように高層ビルが煌びやかに輝く都市をイメージをする者などいない。

 

実際アフリカの一部の国では少しずつ工業化の動きはあるのだが、依然としてほとんどの国の主な産業は農業である。農業で生計を立てる家庭では子供が直接の労働力となる。多くの子供を産むことで労働力を増やしていこうと考えるアフリカ人は少なくない。

 

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2つ目は多くのアフリカの国が多産少死の段階に入ったということである。人口動態の変化は経済の発展に伴い、多産多死ー多産少死ー少産少死と段階を経て変化する。多産多死とは子供を産む数は多いが、死亡率も高いということである。日本は世界平均の2倍の降水量があり、行き届いた水設備がある。水道水が飲める国は世界中で15カ国あると言われているが、日本もその類に属する。対照的にアフリカの多くの国では安全な水にアクセス出来ず、汚い水が原因で毎年50万人の子供達が下痢性の病気で命を落としている。だがその死亡率も主にヨーロッパからの技術提供で少しずつではあるが改善されてきている。

 

またこれまで失っていた命も、医療技術の発展が流れ込み、乳児や幼児の死亡率が確実に減少してきた。これにより平均寿命も延びた。にも関わらず子供を産む数は変わらない、これが人口増加の2つ目の背景である。アフリカ大陸にいる12億の人口の内、半分は20歳以下であることを踏まえれば、今後累積的に人口が増えることは明らかである。

 

だが、この人口動態の3段階の変化は国が発展する過程で、どの国であっても程度の差こそあれ経験する。日本も例外ではない。日本の人口は1900年で4385万人であったが50年後の2000年には12000万人を超えている。たった50年で日本の人口は2倍以上になったのだ。日本は1880年後半に横浜にイギリスの技術者を呼び上水道と下水道を作らせた。だが当初は塩素で殺菌、減菌はしていなかったがゆえ安全な水とは到底言えなかった。殺菌などが確立され都市部に水道が普及するのが日清、日露戦争の頃。この少し後から日本の死亡率は下がり平均寿命は高くなってくる。水は生命を保つのに重要な役割を果たすのだ。今のアフリカが正しく過去の日本で、彼らは主にヨーロッパからの技術支援を受け、過去に例を見ないほどに死亡率が減り平均寿命も伸びた。一方で西アフリカでは未だ、この恩恵が流れてきていないようだ。

 

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 人口問題に有効な手段はあるのか

人口問題は主に社会的なステータスと人口動態の変化から生じると前途で述べた。ではどのような策を講じれば人口を上手く抑制できるのか。この問題への対応策は世界各国で俎上に載せられてきた。本論で全ての策を紹介していくことは不可能なのだが、ここでは2つの政策を紹介したい。女性教育へのアクセスと男女に同等の権利を与えるというものである。どちらもこれまで等閑視されてきたことだ。

 

 

 女性教育の重要性

 オーストリアにある国際応用システム分析研究所によると、教育を受ける機会のなかったアフリカの女性は平均して5.4人の子供を産むが、初等教育を終えた女性では4.3となり、中等教育を終えた女性の出生率2.7、大学卒の女性に至っては2.2と教育を受けなかった女性と比べて、生涯に産む子どもの数が3人ほど減る。教育を通じて子供が受ける恩恵は枚挙にいとまがない。その中でも正しい避妊方法の知識を身につけることは、子どもの親も知らない場合が多いので、学校教育を通じて身につけることができるのは素直に大きいと言える。マラウィでは政府が資金を助成し子どもの進学率を向上させることにより初交年齢、結婚年齢を遅らせ、10代の妊娠の減少に成功した。子どもを教育に従事させる期間の長さに概ね比例して初交年齢や、初婚年齢が高くなることは日本を含めた先進国にも当てはまる。日本では暫し初婚年齢の高さ(晩婚化)が問題視されているが、晩婚化になった背景には女性の大学進学率が上昇したことが挙げられる。それは時に問題になるのだが、こう言ったアフリカなどの地域では望ましい傾向なのである。私が訪れたケニアでは政府助成による避妊具や避妊薬の割引クーポンを配布し、低所得層にでも使用出来るように国が指揮をとって働きかけた。また健康アドバイザーが地方へ出向き、避妊方法や避妊具の使用方法を共有し、避妊具を配布した。これによりケニアでは人口抑制に成功した。同様の動きは隣国エチオピアや西のガーナでもみられる。このように正しい知識を共有することにより成功した事例がアフリカの国にもみられる。

 

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女性の権利を見直す。

 

重男軽女という言葉がある。これはもともと中国の言葉で、男性が女性よりも地位が高いと言った意味でしばし使用される。世界を見渡せば、女性だという理由で挑戦する権利や選択する権利を奪われた女性たちがいる。彼女たちに男性同様の権利を与えることができれば、教育へのアクセスが増え、社会的地位も高くなり、結果として必然的に出生率の低下につながるだろう。だが上記でも少し述べたのだが、出生率の低下は常に望まれるものではない。行き過ぎた人口抑制は中国のような急激な高齢化を促進する。一方で、経済的に余裕のある家庭であれば、通常よりも多くの子供を産んでも問題ないと私は考えている。

 

まとめ。

 

 今日では多くの先進国で出生率の低下にはじまる少子高齢化が懸念されている。一方で、今回挙げたアフリカ諸国や一部東南アジア、南アメリカの国々のように高い出生率が問題となっている国もある。出生率の多い理由として本稿では女性の教育の問題、権利問題、その背景について触れた。何かのきっかけて本稿を読み、アフリカの人口問題への関心が深まれば望外の幸せである

 

 

私はネットが使えないけど、ほとんどみんな使えてない。

 

3月にバイトを全てやめて(英語塾は開校しました)フリーターになって以降、毎日平均10時間ぐらいはネットで論文を読んだり、調べ物をしたり、疲れたなーと思ったらyoutubeでSocial Experimentの動画をみたりしています。


الأحوال الشخصية قاصرة/ Say #IDONT to Child Marriage

 

youtu.be



イスラム法では女性は9歳、男性は12歳で結婚できることになっており、その大半がバングラディシュ、インド、パキスタンなどのアジアの国で、他にもイエメンなどの中東、アフリカでも児童結婚が多く、女性の人権問題の一つでもあります。

 

で、今日私が書きたいのは、女性の人権問題の話ではなくて、題名にもありますように、ネットについて書いてみたいと思います。

 

最近

 

インターネットを使う

インターネットを利用したサービスを使う

 

この2つは似て非なる概念だと感じることが多々あります。

 

例えば就活生が、Excelは使えます!というのも、Youtubeで動画編集しています!というのも、車のカーナビではなく、スマホgoogle mapsを使うようにしています!というのも、全てがすべて、私たちがインターネットと呼ぶものは後者の’’インターネットを利用したサービス’’であって、かなりキュレーションされています。

 

最近会ったイギリス人の友人が

 

日本人はバカです。電車で本を読んでいる人が少なすぎます。みんなインターネットを使用しています。

 

なんてことを言っていましたが、私は彼らが使用しているのはインターネットであり、インターネットではなく、サービスを利用しているのだと思います。

 

ややシニカルに言うと、インターネットの可能性を閉じられています。

 

まだまだ物理的にイメージがつくものが電子空間に置き換えされているだけで、ハードウェアというインターフェイスもそういう状態の域を出ていないように思います。この違いに気付かないとまずいなと、私たちの頭の中にハードウェアの制限というロックがかかってしまっている。

 

そんな話をまた別のイギリス人の友人と話していて、先日、彼と京都でも一番大きな駅近くの某電機屋さんに行ってきました。私は彼に’’そうとはいっても、やはり日本はインターネットや家電系の分野では進んでいるんだぜ’’ということを実感させようなんて考えていたのですが、彼は確かに店舗の圧倒的物量には驚愕していたのですが、日本がデータ消費の多様化に到着していないことにもっと驚いていました。だってインターネットがない時代と比べて家電のラインナップが何も変わっていなかったからです。30年前と比べて何が変わったのでしょうか?多分スマホぐらいです。それも舶来品ですよね。

 

多少話がずれたので私が何が言いたいのかというと、何でもいいからイノベーションを起こしたいと考えて、普段当たり前のように行っているインターネットのサービスを使用するという作業に疑問を抱き、ある種壁のようなものを打ち破ってくれるような人材育成が必要だということです。

 

ですので、誰でもいいので頑張ってください。私には無理です。

 

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