Nextepisode’s blog

国際政治/開発/大学生

大学院入学試験:1)テーマ設定

 

大学院試験が終わりました。なんとか第一志望の大学院へ合格することができました。力試しで受けたもう一校の大学院入試も筆記試験を通過し現在は二次試験である面接の結果を待っている状況です。ですが志望していた大学院に合格できたので、もう一方の結果がどうであれこの時点で進学先が決定しました。

 

そこで今回は、今後大学院進学を考えている方に向けて、また自分の中で現在に至るまでの過程を整理するため、5つの記事に分けてテーマ設定から、実際に試験を受けるまでを振り返っていきたいと思います。

 

1:大学院を受験するに至った経緯/テーマ設定

2:研究計画書の書き方、留意点

3:筆記試験対策

4:試験問題の総評

5:面接で聞かれたこと/答えたこと

 

1:大学院を受験するに至った経緯/テーマ設定

 

私が大学院の進学を意識し始めたのは高校3年生の時でした。お世話になっていた方から世界銀行で働いている方を紹介していただき、直接世界銀行国際連合での勤務内容等のお話を伺いました。その時、漠然と国際連合での仕事に興味を持ちました。また彼女が3つの大学院を卒業し、3つの異なる修士号を持っていたことに感銘を受け、同時に大学院への進学に対しても意識することになりました。

 

大学二年の夏にジャカルタで、また三年の春にジンバブエで、同年の秋前にインドネシアのマカッサルでインターンシップに参加する機会がありました。三度に渡るインターンシップでは貴重な体験ができ、ある程度達成感も得れました。しかし、勉強不足が原因で何度か壁にぶつかることもありました。そんなこともあり、国連で働く、働かない以前に、もう少し深く勉強し造詣を深めなければならないと感じるようになりました。この2点が私が大学院を志望するに至った主な理由になります。

 

大学と大学院の大きな違いは、勉強をするか、研究をするかの違いと言えるかもしれません。

自分が大学院に入学し何を研究したいのか?何を解明したいのか?それによってどのようなインパクトを社会に与えることが出来るのか?等々のことを研究計画書に書かなければなりません。

 

私は兼ねてから途上国の教育問題に関心があり、とりわけ、女性児童の中等教育への就学率が低いことに問題意識を持っていました。女性の中等教育への就学率が低く、また中退率も高い要因はいくつか考えられました。例えば、経済的に親の収入だけでは家計の維持が困難で、子供が小さな労働者とみなされていること、子供の親が十分な教育を受けてこず、教育の重要性を理解していないため、子供を学校に行かせない、家から学校までの距離が遠く、インフラも整っていないため学校に通学することが困難であること、等々が考えられます。その中で、極めてアプローチが難しく、先行研究が他のファクターと比べ少なく、文化的に等閑視されてきたファクターが児童婚でした。

 

そこで私は児童婚と教育というテーマで、比較的日本から遠くなく、事態が深刻化しているバングラデシュに注目し、この国を調査対象国に選びました。

 

次は実際に提出した研究計画書の紹介をさせていただきます。

 

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自己責任論

凄惨極まる津久井やまゆり園事件から一年が経った。障がいのある身内を持つ人間として、あるいはこの国で暮らす一人の人間として、心が痛む。思えばこの事件について、有名無名を問わず、様々な人たちが様々な発言をしているのを耳にした。事件の直後、自民党山東参院副議長が「犯罪者を監視するために全地球側位システムを利用するなど、きちんとした法律を取っておくべきではないか」と発言し、注目を集めた。犯人のことは絶対に許せないが、公権力の権限を大幅に拡大させて人権を矮小化する意見に賛成することは到底できない。大多数の市民の恐怖と犯罪者の人権を天秤に掛けて、釣り合うはずもない二択を迫るやり方は、「テロ対策」とされる共謀罪に見られる。しかし共謀罪があればテロは防げるのか。全地球側位システムがあれば津久井やまゆり園事件は起きなかったのか。本質から乖離した、嘆かわしい議論である。さすがに著名人の発言ではないが、周囲では「施設に預けるのがよくない」という暴論も聞こえた。障がい者を身内に抱える人たちの痛いところを無神経についてきたな、という印象だ。

それぞれの家庭が、少しずつ施設へ預けることへの躊躇いを抱えている。重障がい者となれば、家族が二十四時間一緒にいることはほぼ不可能だ。家族は社会生活を送れなくなってしまう。しかし自分と血の繋がった者のことを思えば、愛情もあるし、かといって永劫この生活はきついと考え、その薄情な感情を持つ自身に苛立って毎日を過ごしている。要するに、家族は皆、外野から指摘されるよりもずっと前に、施設へ預けることへの罪悪感を抱えているのだ。だからこそ、あらゆる施設を回り、少しでも努力をさせてほしいと願う。戦後最大規模の死者を出しながら、メディアでの扱いがそれを感じさせないのは、被害者の家庭がそもそも複雑だからである。

この種の自己責任論は、基本的に家族単位で何とかせよという無言の圧力が根底にある。「心配ならなぜ他人に預けるのですか?」といった爆論も聞こえた。家族の内々で処理し、絶対に汚物を社会に垂れ流すなという冷たい響きを持った言葉だ。政府はますます家族の温かさを強調し、理想を刷り込むが、絆という言葉の裏に縫い付けられた弱者切り捨ての不条理を感じずにはいられない。

津久井やまゆり園事件を知ったとき、多くの人々が「許せない」「可哀想」と感じるのは良い。しかし無責任に放った意見が、ある立場にいる人を傷つけ、孤独にさせてしまうことを知ってほしい。f:id:Nextepisode:20170917135702j:image

教育って誰のものなのか

 

中学国語のカリキュラムを作ったら
真面目に受講した子は大きく伸びた。

得てして国語に関しては、
子供が「今」養うべき力とは
違うことを教えているように思う。

物語文や説明文の全体像を
きれいに整理して結果論的に教えても
その場で新しい情報を咀嚼して
適切に答える力は身につかないと思う。

文学的な学問の国語と
コミュニケーションの国語は違う。
極めていけば一緒かもしれないが、
日常のレベルでは違う。
どちらが良い悪いの話でもない。
どちらを教えるべきかの問題。

大人が教えたいものでなく
今その子が必要な技量を教える。
でも、教育の現場では
そうはなっていないことに
よく出くわす。

教育って誰のものなのか。

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パリの同時多発テロを振り返る

 

今年ももう9月に入りました。時間が経つのはこんなにも早いのかなんて感じつつ、2年前に起きたパリの同時多発テロからもう2年が経とうとしています。

 

パリの同時多発テロの直接的原因はシリア領域内のイスラム過激派「イスラム国」に対するフランスの空爆にありました。テロの実行犯の人物像が次第に明らかになるにつれて、そこには二つのテロ事件の共通性が浮かび上がって来ました。それは欧州における貧困と格差の問題であり、そのような社会に適合できない移民第ニ、第三世代の弱い若者達が過激派となって暴走した悲しき未路でした。

 

テロの首謀者であるアブデルハミド・アバウド(パリ郊外での制圧作戦により死亡)はベルギーの首都ブリュッセル郊外のモレンベーク市の出身です。この町にはフランス国籍の実行犯の兄弟も住んでいたことがあります。人口約10万ほどの町には、2004年マドリードでの地下鉄爆破テロ、3年前のブリュッセルユダヤ人博物館の殺人事件の実行犯などが住んでいたことで知られています。この町の8割の人がイスラム教徒であり、近年では若者の失業率が5割にも達する貧しい街で、武器取引も容易な街でも知られています。

 

こうした大都市周辺の貧困と治安の悪い地域は「荒れる郊外」とも揶揄されたりしますが、そこで育った外国人、移民二世、三世の子供たちの中には軽犯罪を繰り返す子供も多く、収監された刑務所などでイスラム過激派組織と共に生活を共にし、洗脳され、戦闘訓練を受ける。

 

ヨーロッパではどの国も例外なく経済低迷期に入っている。そのような経済の下では、社会に溶け込めないイスラム教徒の少年は増えていく。実際、パリ同時多発テロの犯人のうち5名はフランス国籍でした。こうした地元出身のテロリストのことを「ホーム・グロウン・テロリスト」と呼びます。パリ同時多発テロでは「イスラム国」がまた犯行声明を出していましたが、今回の実行犯はそれとは毛色の異なる、社会統合プロセスの中の脱落者と言えると思います。

 

2012年の大統領選挙前にも連続銃撃テロがありました。犯人は23歳にアルジェリア出身の移民の子供で、フランス南部のトュールーズのイスラム原理主義者が多い地区の母子家庭で育ち、軽犯罪を繰り返し、拘置所イスラム原理主義に感化されて、その後アフガニスタンに旅行していました。

 

3年前のブリュッセルユダヤ人博物館でイスラエル人夫妻らを銃撃殺害した犯人、パリ同時多発テロの首謀者もまた似たような経歴を持っていました。首謀者のアバウトととも死んだ従妹の26歳の女性は犯罪歴や中東への渡航歴はなかったものの、子どもの頃から不幸な家庭に育ち、飲酒と麻薬に溺れ、ホームレスの生活をする内に、過激派の思想に染まりました。彼らには自分たちの住んでいるヨーロッパ社会に溶け込めず、貧しく劣悪な家庭環境で育ち、生活が安定せず社会から阻害され、非行に走り、イスラム過激主義に染まっていったという共通点があります。フランス国内だけでもこのような「テロの容疑者」は一万人以上いると言われ、そのような人達がシェンゲン協定の上で国境を越えて移動しているのが現状です。

 

1970年にはフランスには20のモスクしかありませんでしたが、今では2200以上のモスクがあります。またミッテラン社会党政権は全国移民評議会、移民のための優先教育地域などを設置しました。しかし、実際にそれらの政策が上手くいっているのかといえば、必ずしもそうではないのです。

 

パリの同時多発テロはその規模が大きかったがゆえ多くの人達の記憶に深く浸透していますが、小規模のテロであれ実行犯の経歴には程度の差はあれいくつかの共通点を見出すことができます。無辜の命を奪う凄惨なテロを根絶するために、我々が出来ることは0ではないと思います。

 

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世帯年収800万の壁

 

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‪子供2人育てるのに世帯年収800万が必要という意見がある。子育てというのは経済学でいう一種の"費用逓減"のようなもので、例えば子供2人育てるのに年間100万円がかかるとして、2人目を育てるのに更に100万円が必要かというとそうではなく、長女が1、2回しか使用しなかった洋服を妹におさがりとして着させたり、一回の食事で皆が食べることを考えれば一人当たりにかかる食費は人数に比例しない。

 

ということを考えると、子供一人育てるのに世帯年収が800万必要ということは、子供一人育てる場合の世帯年収は500-550万円といったところだろうか。

 

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日本人の世帯当たりの年収の平均値と中央値を見てみよう。2009年では平均値は549万円、中央値は438万円となっている。

 

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次に男女の年齢別に年収を見てみると、男性で平均年収が500万円を突破するのが35歳〜となっている。従って子供一人を育てるには①夫婦共働きをする②夫の年収が500万に達する35歳〜から子供を育てる、のどちらかの条件を満たす必要がある。

 

子供一人育てるのに世帯年収で500万円が必要だというと、特に地方の者からすれば懐疑的で、そこまで子育てはお金のかかるものではないという者もいるだろう。しかし少子化を経験している中国を見てみると、近年子供一人にかける費用が右肩上がりだ。実はこれは日本でも同様のことが言える。激しい中学受験のために子供に幼児期から習い事をさせ、都市化の波に乗るように地方からどんどん都市部へと移住する人が増え、それに伴って収入の上昇以上に出ていくお金が多くなる。著者自身、公立中学に通う子供の歴史や国語の教科書を見て、将来の自分の子供に公立に通わせるという選択肢がなくなった。また教育一つにしてみても、今後は受ける側に選択肢が増え多様化し、より高いサービスをより高いお金で受けられる機会が増えてくる。

 

このようなことを考えると、子供一人育てるのに世帯年収で500万、二人育てるのに世帯年収で800万円という一つの基準はかなり妥当な基準だと言えるのではないだろうか。

近況報告

 

今年の暑さは例外なく厳しいものでした。もう少しの辛抱ですね。私は秋が一番過ごしやすいと感じます。

 

8月の前半は日本各地を旅行していたので、もう少し余韻に浸りたいところですが、今日からは集中して勉強しようと思います。

 

近況報告ということで、研究計画書がようやく完成しました。と言っても先月のことです。

 

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また以前受けたトイックの点数が帰ってきました。

 

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正直受験時の記憶は曖昧ですが、少しだけ自信はありました。ちなみに受験するにあたり試験対策はしていませんが、研究の関係で日頃から英語に触れる時間があったことがおおきかったように思います。当日時計を忘れて終了30秒前に終わったことは覚えています。

 

さしあたり「集中力」が私の課題になりそうです。

 

では

 

人口集中で広がる格差

 

世界では史上比類ないスピードで都市化が進んでいる。日本でも近年東京や大阪などの都市部に地方から移動してくる人が絶えず、地方分権を強化し、都市部から地方へ人口を戻そうとする動きも加速してきた。

 

人口増加に関しては以前別の記事で少し触れたのだが、都市化に関しては触れてこなかった。そこで今回は、都市化について簡潔に現状を把握しておきたい。

 

都市化と聞くとしばし批判的に捉えられる傾向にある。著者自身、たとえ都市化によって物流コストが下がり、労働が集約する事により経済活動の生産性が上がるといった恩恵の側面があるとしても、すぐにでも都市への人口集中を抑制させるべきだと考えている。著者がそう考える理由は最大公約数的に言えば一つである。格差を増やさないためだ。

 

既に述べたように都市化はいくつかの機会をもたらすが、その機会は決して公平に行き渡っておらず、結果として格差が広がってきている。ある一定の都市生活者は、他の住民よりもはるかに不健康な環境で生活することを余儀なくされている。とりわけ途上国では、結果として超高層ビルの足下でスラムが形成され、その規模も広がりつつある。

 

WHOでは都市部への人口の集中により、劣悪な移住条件、食料や水の安全性に関する問題、衛生設備や固形廃棄物処理不備、大気汚染や過剰な交通量を挙げている。

 

私もフィリピンの首都マニラ、ケニアの首都ナイロビ、インドネシアの首都ジャカルタなど都市化が急速に進む都市を訪れたが、やはり渋滞が多く、排気量度外視から空気は汚染され、上下水道の設備が不足している平屋が多くあるのを目にした。

 

そのような状況を改善させようと、国及び地方自治体の行政機関は都市化に伴う課題に取り組んではいるが、ほとんどの場合、都市生活者の安全と健康に欠かせない基本的インフラの構築のペースが急激な人口増加に追いついていないのである。また途上国では特に、仕事が決まる以前に農村部から都市部に移住してくる人が多く、結果としてスラムの拡大に繋がっている。

 

思えば、人口が100万人から800万人に増えるのに、ロンドンでは130年かかったのに対し、バンコクでは45年、ソウルでは25年でその増加を成し遂げた。また近年では、カンボジアプノンペン、メキシコのティファナ、モロッコマラケシュ、ナイジェリアのラゴスなどでは、年間4%の人口が増え、17年後には人口は倍増すると予測されている。このままいけば2050年には全世界で10人に7人が都市部に移住することになる。

 

日本では都市化から発生する問題以上に恩恵を語る場が多く設けられている現状がある。今後はマイナスの側面に関しても活発に議論し合える場が増えればと願う。

 

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