Nextepisode’s blog

開発経済/国際政治/大学生/

外国人労働者受け入れについて考えたい

 

 

 

2008年の1億2808万人をピークに日本の人口は減少に転じた。それを機に、日本ではどのようにして人口減少時代に対応するのかという議論が過熱してきたように思う。その一方で、日本が今日に直面する人口減少はもっと以前から予測ができたことは否めないだろう。歴史を俯瞰してみると、1920年から死亡率と出生率がともに減少傾向を示しはじめており、大正末期には既に人口動態は多産少死から少産少死へと移行していた。しかし、多くの国民が人口減少を問題視するようになったのは1989年だったように思う。この年は「1.57ショック」と言われ、合計特殊出生率が丙年の1966年を下回った。実際、1957年から1964年にかけて合計特殊出生率が置き換え水準を割り込んでいたことからも、人口減少の始まりから我々が認識するまでの間には長い時差を要したことになる。

 

一方で、筆者の問題意識は人口減少にはなく、人口動態が変化していくことにある。より詳細に言えば、人口動態が年々高齢化し、労働人口や子供の割合が減ってゆく少子高齢化である。従って本稿では、人口減少には紙幅を割かず、少子高齢化にスポットを当て、少子高齢化が進んできた背景を時代を遡って俯瞰し、今後日本がとるべき姿勢について検討、提言することを最低限の目標とする。

 

1970年、ローマ・クラブが「成長の限界」というレポートを発表した。このレポートでは、天然資源や環境汚染の観点からみて、既に世界人口は地球が許容できるレベルである「臨界点」に近づきつつあると警鐘を鳴らすものであった。このローマ・クラブが発表したレポートは世界的な関心を集め、中国では79年から一人っ子政策が導入され、インドではハネムーン政策と呼ばれる、結婚後2年間子供が産まれなかったら現金5000ルピー(約9200円)、もう1年間産まれなかったらさらに2500ルピー(約4600円)がもらえる政策が導入された。ここから言えるのは、日本のみではなく世界全体で、出生率の低下は「望ましい状態」と認識されていたということである。だがその結末は少子高齢化であった。今日の世界では、アフリカの国々と一部の南米諸国を除いて、ほぼ例外なく多くの国で少子高齢化という問題に直面している。

 

1945年の終戦時には、日本の合計特殊出生率は4を超えていた。一方で、1949年に当時の厚生大臣であった林譲治は、「現在の人口増加状態がこのまま放置されては日本の将来の復興にとって由々しき問題となる」と発言している。林はアメリカの家庭の平均子供数にならって、子供数を2.5人程度にすべきと主張している。民主自民党は、当時移民が不可能であるということから産児制限が「重大な基礎の方法」であると肯定している。

 

実は、当時日本がここまで人口増加に躊躇だったことには理由がある。それは日本が45年にポツダム宣言を受け入れるまでに起きた数々の凄惨な戦争の要因を、日本国内の人口圧力に起因していたことにある。昭和20年9月11日に発刊された朝日新聞では、「狭小なる国土に8千万人の人間を養わねばならぬ事態となって、海外進出の問題は今後の課題として新しい意義と重要さを持ってくる」と述べられ、国土面積の制約から当時の8千万人という人口でも過剰であり、それが戦争の原因となったことを示唆しているのである。戦争の残像すら知らない現代の国民にとっては、少子高齢化を働き方や日本の文化に起因しようとする意見が一般的である。しかし歴史的にみれば、それより以前に人口減少を地球の有限性やエントロピー、人口圧力が戦争の原因だったとして肯定してきたのである。

 

確かに、地球の資源は有限である。このまま未曾有の人口増加が進むと、地球の許容レベルを超え人間の生命を脅かす問題となるのであろう。しかし、その段階に入る前に、意図的に人口を抑制することで社会は少子高齢化に直面するのである。冒頭でも述べたが、少子高齢化は100年も前から予測可能であった。だが我々は人口が増加する日本にのみ問題認識を持ち、人口を抑制することで人口動態が変化し、社会が少子高齢化に直面することには鈍感であったのだ。

 

しかしながら、今となっては後の祭りだ。我々は少子高齢化の釜中にあるのだ。ゆえに今後我々がとるべき姿勢について建設的な議論の場を設けていかなければならない。そこで残りの紙幅は、少子高齢化が原因で直面している「労働不足」問題に注視し幾つかの提言を行っていきたいと思う。具体的には、日本の労働力不足を補うために期待される「外国人労働者の受け入れ」に対して、本当にそれが現実的に日本の労働力不足に寄与するのかということを検討していきたい。

 

総務省の発表によると、日本の労働人口は総人口に先駆けて1998年にピークを迎えてから減少を続けている。2015年平均では1998年のピーク時と比較して200万人少ない6598万人となっている。四国地方全体の労働人口が191万人であることから、この15年程度の間に、四国分の労働力が日本から消えたことになる。一般的に65歳以上の高齢者が総人口の7%を超えると高齢化社会、14%を超えると高齢社会、21%を超えると超高齢社会と呼ばれる。世界銀行の世界人口調査によると、2016時点で超高齢化社会に属するのは日本(26,86%)、イタリア(22,75%)、ギリシャ(21,60%)、ドイツ(21,45%)、フィンランド(21,02%)の5ヶ国のみである。その中でもとりわけ日本の高齢化率は顕著であり、日本は1994年に高齢社会、2007年に超高齢社会に突入している。今後日本の高齢化は更に深刻化し、2030年には総人口の3人に1人(31,6%)が65歳以上と予想されている。

 

一方、労働人口については、労働政策研究・研修機構が推計している。その推計によると、経済成長をゼロ成長と仮定した場合、2020年に6314万人、2030年には5800万人まで縮小する。これは2014年度の実績値に比べれば、2030年までの約15年間に700万人強の労働力を失うことになる。日本では1998年から2015年までの約15年間に四国地方相当の労働力が失われたが、次の15年では更に東海地方の労働力人口相当が失われるのだ。

 

 

2015年10月に発足した第3次安倍政権の目玉政策の一つに「一億総活躍社会」がある。少子高齢化に歯止めをかけ、50年後も人口1億人を維持し、家庭・職場・地域で誰もが活躍できる社会を目指すという。具体的には、同時に発表したアベノミクスの新しい「3本の矢」を軸に、経済成長、子育て支援、安定した社会保障の実現を目指している。経済面では「希望を生み出す強い経済」、子育て面では「夢をつむぐ子育て支援」、社会保障面では「安心につながる社会保障」がそれにあたる。

 

だが、労働政策研究・研修機構が発表している推計では、経済成長が回復して実質2%の水準になった上、若者や女性、高齢者等の労働市場への参加が進むという前提において、2014年時と比較して、2030年までに225万人の労働人口が減少するとされている。高齢者が今よりも5年長く働き、出産・子育て世代も働いたとしても、日本は今よりも少ない労働力で社会を維持していかなければならない。

 

そのような背景から、日本は民間と協力し衰退する日本の労働力を海外からの労働力で補おうと考えている。例えば、ローソンでは2009年より新規採用の3割を外国人にするという数値目標を設定し、2年後の2011年には3割の目標を達成している。また、ローソンはベトナムにおいて現地の人材教育機関と連帯し、日本への留学予定の学生に対して、コンビニエンスストアの業務等を学ぶ研修を開いている。これには来日する留学生に留学先付近の店舗で働いてもらおうと考えているからである。また、楽天は2010に社内公用語の英語化を宣言した。2014年に入社した開発職の100人中8割以上が外国籍と、外国人のエンジニア採用が進んでいる。またこれら以外の企業でも、管理職昇級の条件に英語の能力を要求したりと積極的に外国人労働者を採用しようとしている。

 

しかし、状況はそう楽天的とは言えないようである。というのも、少子高齢化が進み、労働人口の減少に直面しているの国は何も日本のみではないのだ。これまで生産年齢人口が増加の一途であり、労働者を送り出す側であった中国でも、2015年以降生産年齢人口が減少に転じ、2025年頃には中国においても総人口の減少が始まるのである。インドネシアではスハルトが画期的な人口抑制政策を行って以降少子高齢化が進んできた。日本が労働力不足を外国人労働者で補おうと雄弁に語るとき、「門戸を開けば日本に来てくれる外国人がいる」という前提がある。だが、実際はどうだろうか。

 

韓国で働く外国人労働者は2016年5月時点で約96万人であり、日本で働く外国人108万人と比べ若干少なくなっている。しかし、韓国の人口は約5150万人で日本の人口の半分以下である。台湾で働く外国人労働者は約60万人であるが、台湾の人口が日本の5分の1以下であることを考えるといかに日本で働く外国人労働者の数が少ないのかがわかる。今日、世界中の多くの国で直面している労働力不足だ。働く側にも選択肢があるのである。日本では長時間問題や所得水準(世界中の先進国と比較すると、日本の給与水準は決して高いと言えない)が直接の阻止要因となっている。また柔軟性のない教育や言語問題、地理的な距離も外国人が日本を敬遠する要因として考えられる。

そんな日本とは対称的に外国人の受け入れ体制が整っている国に北欧のスウェーデンが挙げられる。スウェーデンの例は日本にとって参考にすべき点が多いように思うので、簡潔に紹介したい。

 

スウェーデンの第二の都市ヨーテポリとその周辺の西スウェーデン地域には、世界各国の大企業が集積している。この地域では世界から高度人材を確保するために”Global Talent Gothenburg/West Sweden”というプロジェクトが始動している。同プロジェクトは、国際的に高度人材を獲得する競争が激化する中、この地域に高度人材を呼び寄せるためには何が必要か、という項目の洗い出しが行われている。主なアクションプランの内容としては、情報共有のためのホームページ「Move to West Sweden」の開設、学生の職探しの支援、配偶者の職探しの支援、家探しの支援などが含まれている。日本は政府主導でこのような先駆的な取り組みを行っている。

 

これはスウェーデンの事例だが、イギリスや韓国、オーストラリアなどでも先駆的な取り組みが行われている。このような国々の取り組みを知るたび、外国人労働者を「呼べば来る」と捉えている日本の崩壊する未来が透けて見える。繰り返すが、これまで労働力を供給する側であった途上国の国々でも、近年着実に少子高齢化に向かっている。そのような時代の中で、どのように外国から労働者を呼び寄せるか、日本は政府を中心に早急に建設的な議論をしていく必要があるのではないだろうか。

 

 

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本当に議員の数は減らすべきか?

 

国会議員の数が多すぎるから議員の数は減らすべきだ」といった声が近年増加傾向にあるように思う。しかもそれは一般の国民からだけではなく、国会議員及び政党からも出ているのだ。一般国民の議員削減論は、議員を国民の代表と考えていないということなのだろうけど、議員や政党の議員削減論は一体どういうニュアンスなのだろうか。彼らは自分以外の議員は能力不足で不要だと考えているのだろうか。

 

まず身を切る改革を、等と言って議員削減論を政策や公約に掲げる党もあるが、これなど日本以外の議会制民主主義国では異例なのではないか。消費税率が高い欧州諸国でも、だからと言って無闇に国会議員を減らしたりはしていないはずだ。それはやはり、議員が人々の代表だと社会全体が考えているからに他ならないだろう。日本ではそういう認識を持てず、逆に議員を敵だとか無駄だとかに捉えていて、とにかく議員は少なければ少ない方がいいんだ、などとしか思えないのか。

 

またどこかの政治家のトップのように、議員報酬や手当の削減を唱える主張にも私は違和感を覚える。国会議員が何万人もいるのであれば、そういう意見にも少しは意味があるのかもしれないが、たかが数百人の議員の報酬削減に何を期待しているのか。そう主張する彼らは、医療費や健康保険、財政の話になると、医療従事者の報酬削減などと真っ先に言いだすのだろうか。こちらは国会議員と比べ人数が桁違いに多いから、報酬削減にも少しの意味はあるのだろうが、しかしそういう安易で無責任で当事者以外の一般受け狙いの主張でいいのか。

 

増税議論を絡めて、増税の前にとか、増税を引き換えに国会議員削減を、というのも全く理解が困難で、幼稚な主張である。そういう意識に従えば、付加価値税が20%とかそれ以上の欧州諸国なら、議員、議会が絶滅寸前になってしまうだろう。それがまともな思考や政策か。

 

そもそも、増税をして、税収を増やし、国の関わりを大きくするのに国会議員をへらせなんて、なんとも乱暴な主張である。この種の論者は、もし減税をするのなら議員を増やせと言うのか。

 

日本の政治のレベルは選挙には強くないが、織見や技量を有する議員によって辛くも支えられているのだと私は信じている。

 

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Kyoto trip

 

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We came back to my parent’s home from Shirakawago and we stayed two days with my family and following day we headed to Kyoto for the second time in her life. We settle in to our local train from an extremely tiny station

 

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We used buses on occasion and spent walking through on a very hot day. We went over little streams, down old alleyways and along the small canals.

 

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We made it to the beginning of the philosophers path, a very lush green pathway which runs along a steam for a few kilometers.

 

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We visited Nanzenji temple, a big bridge complex with many small and big temples

 

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And then we shuffle our way through a narrow alley cram packed with tourists heading to see the Golden temple. Kyoto itself is littered with temples and shrines and this one is one of the most famous. 

 

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Nishiki market is a traditional food market. While modern food ships and souvenir shops are starting to move in, there are still enough traditional ships to give you glimpse of what a traditional market must have looked like.

 

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We were quite lazy because we were so tired from all our walking that day. We spent a few minutes along the river. It was awesome to see hundreds of people sitting along the river at night, playing music or having some drinks. So many good vibes.

 

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On our last destination we headed to the Fushimi Inari red tori gates which line the pathways all the way up a mountain.  It was very impressive at night since there’s a few people passing by.  It’s calming to be on this hike, surrounded by shrines and spiritual constructions. Along the path there are periodically little waystations and shrines to leave offerings, make prayers, or just rest your feet and get a drink. As I ship on a bottle of Coke I reflect on the trip so far. It is, in a sense, a pilgrimage for me.

 

overall, we were extremely tired and could make the most of time.

 

 

空き家問題を考える

近年、空き家問題が一層と深刻化してきている。その象徴的なデータは2014年に総務省が公開した全国の空き家数820万戸という数字だ。この数字は私を含め、多くの国民に社会的な衝撃を与えたことだろう。このまま指数関数的に空き家問題が深刻化していくとなると、15年後の2033年にはおよそ3軒に1軒が空き家になる計算だ。例えるなら、集住住宅で、自分の家の右か左の家は空き家ということになる。ではなぜこのように空き家の数が増加するのであろうか。

 

一般社団法人住宅生産団体連合会のホームページに目を通してみると、住宅建築1000戸あたりの経済波及効果は持ち家の場合で住宅投資額250億円に対し、耐久消費財を始め、幾つかの需要を掘り起こし、517億円となっている。言い換えれば、家を購入する人がそれに250億円の投資をすれば、それが倍以上の517億円の消費に繋がるというわけである。厚生省はかなり以前から少子高齢化を予測していたにも関わらず、この甜言蜜語に住宅は止まることなく建設され続けてきた。2011年に起きた東北大震災で我々が目にしたのは、耐久性に欠け、跡形もなく崩壊した家々であった。実は2017年の国土交通省の資料によれば、現在、人が居住している住宅ストックは日本全国で5210万戸あるのだが、新耐震基準前に建築された住宅は900万戸だとされている。単純計算で、ある地域で地震が起きた時、5軒に1軒の家は揺れに耐えられず崩壊する危険性が大いに考えられるということだ。

 

我々の生活スタイルの変化もまた空き家問題を一層に加速させていることだろう。少子化問題についてここで深く紐解くことはしないが、少子化で子どもの数が減少している日本では必要な家の数も減る。例えば、一人っ子同士が結婚すれば、それぞれの親の家のうち、どちらかは不要になる。高齢者が以前よりも長く生きるようになり、相続時期が遅くなっているために、相続時点ではすでに子どもが住宅を取得しているケースが増え、親の家が余るようにもなってきた。一昔前は、自分の持ち家を持つことが一つのステータスと考えられていた。就職や結婚を機に都市近郊で家を購入した団塊世代の親の家が、日本の至る所の地方で空き家になってきたのだ。現在は、空き家問題として、地方の空き家が特筆して問題視されるのだが、近いうちに、都市近郊でドーナツ状に、その団塊世代の家が空き家化していくだろう。私の住む関西では、大阪や京都などの経済力のある府県でも、ハブ駅から2-3駅電車に揺られると、そこは門前雀羅になりつつある。

 

その他の要因としては、大都市への人口流入を是正出来なかった政府や、地方の魅力を十分に宣伝出来なかった政府や行政機関の責任がある。これほどまでに地方創生という言葉を掲げ、人口をどうにかして地方に逆流入させようとしてきたのだが、その声は国民には十分に届かなかった。都市に移住することと、地域に留まること、その双方にpros and cons(メリットとデメリット)があるのだが、都市に移住を考えている人たちに十分な地方の魅力を発信できず、都市へ逃がしてしまったことは明らかに空き家問題を加速させた。

 

とは言いつつ、空室率では大都市でも顕著だ。現在、東京23区の空室率は34%、神奈川と千葉では35%を超えてきている。空室率の高い地域の共通点として、最寄駅から徒歩10分以上の位置にあるということだ。現在、人が部屋の契約をする際、一番に考慮する点として駅から徒歩何分の位置にあるのか、が最も重視されるという。かくいう私も、賃貸を探すときには、部屋の広さや築年数は妥協しても、駅からの距離は妥協しなかった。担当してくれた不動産の職員の話によると、やはり駅から離れている地域は例え安く綺麗であっても、空室率は高いそうだ。

 

ここまで述べてきた幾つかの要因が、空き家問題を生み深刻化させていると私は考えている。少子高齢化社会、東京オリンピックがあるにせよ、その効果は限定的であろう。我々はこの空き家問題にどう対処していけるのだろうか。

 

行政機関が空き家を活用したいと考えても、立地や建物の状態、改修費用などを考えると、収益ベースに乗せられる建物は少ないという。北海道の夕張市もこの点でどんどん過疎化していった。人の多い都会では収益を見込める活用が十分に可能なのだが、立地が悪い都市部や地方部ではどのように集客を見込めるのだろうか。この場合は、建物としては、「わざわざそこへ行く必要がある場所」を作るべきであろう。具体的には、介護施設などの福祉的な建物や住宅困窮者向けの建物を建てるべきであろう。このような目的であれば、公益性優先の利用が現実的だ。地域によっては、まちを活性化させるための行政主体、社会性優先の活用も考えられる。

 

賃貸住宅が空き家化する要因としては、改修費用がないなどという実際的な問題がある。自宅を貸したり、売ったりという発想を持っていない人も多い。住宅に家族の思い出がそのまま残されていたり、仏壇が置かれているという理由で片付ける気持ちがなく、使わない家でもそのままに放置してしまう人もいるという。法的な緩和政策も必要であろう。例えば、現在都市部では急速なホテルの建設ラッシュが続いている。東京オリンピックに向けてホテルの絶対数が足らないのだ。であるならば、海外からの観光客を空き家に滞在させれば良いことだろう。例えば、Airbnbという使っていないアパートや自宅の一室を旅行者に日割りで貸すというサービスが海外ではよく使われている。だが日本では、賃貸を契約して、そこを第三者に住まわせて利益を得るということは、又貸しと言われ禁止されている。この又貸しを緩和させることによって、不動産はアパートの契約件数の増加が見込まれるし、契約者は副業やお小遣い稼ぎとして利益を得ることができ、何より旅行客に対し、通常ホテルで宿泊するよりも安い料金で寝泊まりさせることができる。時代の進む速さに現行法が追いついてきていないという状況である。ここは真摯に議論して緩和へと踏み出すべきである。

 

数日前、ニュースを見ていると、農業や銭湯などの衰退産業と言われる業界への取材があった。商店街の再開発でも、若い世代が古い味わいのある商店街を個性と感じ、それを武器として残したいと考えても、実際の所有権を持っている親世代は、その価値を認められず、立て替えて新しくすることを良しとする人が少なくない。地域への愛着という問題では逆の現象もある。長年、その地域に住み続けてきた親世代は、我が街をなんとかしたいと考えるが、その血を離れた子ども世代はそうした愛着を持たないこともある。家に思い入れを持たず、売れるのなら売る、あるいは地域のニーズを無視したアパートを建設するなど、空き家の増加に寄与する選択をしている例も少なくはない。

 

第3次産業革命と言われるインターネットの普及で、我々は住宅の情報を比較検討して選ぶことが容易になった。当然、何も考えずに建てられた家は選ばれなくなる。半世紀前には、建てれば貸せるという時代があったのだが、今はそうではない。今の時代は、誰に、どう貸す、といった2点を考えなければ展望は開けない。人口動態を見れば、自ずと余ることがわかっていたにもかかわらず、住宅建築を続け、質の向上は図らず、都市への一極集中は是正できず、短期的な利益追求で、あらゆることを先送りしてきたツケが、空き家問題として社会問題となり顕在化した。

 

以上見てきたように、空き家問題は社会にネガティブな印象を与えている。その一方で、画期的なやり方で暗中模索ながらも着実に建物の使い方の多様性を進めている人たちもいる。例えば、シェアハウスもその一例であろう。私の友人は京都のシェアハウスに住んでいる。一つ屋根の下、3つの部屋で、一人頭2万5千円の家賃を毎月払い、水光熱は折半している。そうすることで一人暮らしをする場合と比べ、安く済むことができ、また複数人で共に生活することにより学びも多いのだという。そこはもともと、空き家になっていたため、平均的なシェアハウスよりもさらに低価で借りることができているそうだ。これは私の友人の例だが、空き家を利用したシングルマザー向けのシェアハウスや、男女共同のシェアハウス、3家族共同で住むシェアハウスなど、シェアハウスといえども、多様性はかなり進んでいると言える。その他にも、イタリアンレストランをカフェにしたり、住宅をオフィスにしたり、風呂屋にスパを隣接させたりと多種多様な活用事例がなされている。このように空き家の活用が地域に貢献するとの理解が広まれば、活用を考える所有者が増えるのではないかと考えている。一方で先ほど挙げた幾つかの画期的な取り組みは、都市部で行われているものであって、知らない人と同じ屋根の下で生活をしたり、もともとあった建物を違い目的で使用したりすることに対し、地方で暮らす人たちにとってはハードルが低くない。そのハードルを低くし、少しでも多くの人に空き家使用の多様化を理解してもらうには、やはり空き家の活用で、個人の利益以上に、社会の役に立つことを広くハイライトしなければならないだろう。

 

空き家問題が日本の抱えるさまざまな問題、また経済システムの歪みの結果として生まれたものと考えるのなら、その解決策も、さまざまな分野の枠を超えて取り組まなければ導き出せないであろう。空き家問題に限らず、今日の社会問題の多くは、それぞれの蛸壺の中で、明日、明後日に役立つ施策を考えていて太刀打ちできるものではない。より広く、未来を見据えた視点が求められているのだろう。

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Gifu(2)

 

Following day, we continued our journey from Hida Furukawa to Shirakawago. Shirakawago, the gassho style village was registered to be a world heritage site in 1995.

 

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We had to cross a suspension bridge over the river to get to the main part of the village. I nervously stepped out onto the brigade with every step I could feel the bridge swaying. All I could imagine was the bridge breaking and me falling into the raging, freezing cold river below.

 

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The village is known for its traditional farmhouses which subsisted on the cultivation of mulberry trees and the rearing of silkworms, as the mountainous terrain offered little opportunity for rice farming. It stands as an amazing example of the social and economic circumstances that life existed within during that time.

 

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We spent time in browsing the village with its remarkable farmhouses. Walking around it was hard to believe that we were just a few hours away from Nagoya, one of the most technologically advanced cities in the world.

 

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we were pretty starving, so we could not resist buying a Hida pork bun. I was curious to see how different it was from Oumi beef. The beef croquette was insanely good. We finish eating the croquette and immediately dashed off to eat lunch at a restaurant.

 

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A couple of the houses have been opened up to the public and you can go inside and have a closer look at what these amazing houses looked like on the inside.

 

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We then walked around the town looking at all the houses and talking pictures. Then climbed up the observation point. It’s about a 20-minuets walk from the edge of town but we decided to go there by bus, which costs us 200 yen?

 

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I know I was stunned by the spectacular beauty of the place and would love to go back in summer time to see how it looks with all of the wonderful snow.

 

 

 

 

 

 

 

 

Gifu trip (1)

 13/08/2017

 

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This morning we awoke early to depart for Takayama and Shirakawago. Our ride was just so incredibly beautiful as we followed the river. Due to summer season, we had no chance to see snow laden mountains, perfectly highlighted against the cloudless blue sky we saw on the picture before, it was still vey beautiful, though.

 

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Before Shirakawago, we briefly visited to Takayama’s old town , which by now are pretty saturated with tourists. It is such a small version of Kyoto to be honest. With only 3 hours of sightseeing( we were planning to visit to Hida Furukawa later). We set out to see as much as possible of this little city.

 

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 The small town is filled with historical Japanese architecture, sake breweries, morning markets filled with food stuffs Gonca had never experienced, restaurants and cafes. There was a gorgeous striver( more than a stream, less than a river) running right through the middle of town, and clear water was populated by carps.

 

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 We had sake tastings at sake breweries that had been in famillies for multiple generations, where each bottle had a family crest. Like wine or craft beers, we had no idea that sake came in so many varieties.

 

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Gonca wanted to pay a visit to Hida Furukawa Town, which was one of the stages of Kiminonawa. In addition, it is a town within beautiful mountain with rich nature, so we could enjoy walking around the town. We were initially surprised to see that Hida Furukawa town is a very stunning place to visit. 

 

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The town was nearly empty except for a few cars passed by. we found a house-shaped box offering carp food for 100 yen. 

 

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I posted so many pictures up because I’m sure that pictures speak a thousand words. After all, Hida Furukawa town was the most notable place of our trip.

 

 

障がい者は隠すべきという社会の空気

高校に入るまで、関西でもとりわけ田舎の町で私は育った。地域に住む住民は皆知り合いで、それこそ、季節を問わず近所の方が家庭菜園で採れた野菜を私の自宅の玄関に置いて帰っていくような町であった。一度地域で何かが起きれば、瞬く間に周囲に伝播し、ここそこの家の事情は全て、地域に筒抜けであった。

 

私の家の隣には、脳に障害を抱える6つ歳上の男性が住んでいた。症状は癲癇に近いようなもので、毎日のように夜になると奇声を放っていた。中学に入ってすぐだっただろうか。テレビを観ていると「癲癇」の症状の説明がされていた。翌日学校でたまたま前日のテレビの内容が話題になり、頭の良い男子生徒が「穀潰し」と言っているのを耳にした。「穀潰し」の言葉の意味がわからなかった私は自宅に帰り、母親にこの言葉の意味を聞いた。母親は私に詳しい言葉の意味は伝えず「あなたは絶対に使ってはいけないよ」と小さな声で返事をしてきた。母親の表情から、私はそれ以上は聞かなかった。

 

その男性は、地域の障害者施設に通っていた。数年経って、地元を離れた私に母親から電話が入り、その男性が亡くなったと知らせを受けた。参列者の少ない、人目を避けるような葬儀だった。

2017年12月25日、大阪府寝屋川市において、精神障害を抱える33歳の娘をプレハブに10数年間隔離し、凍死させたとして、女性の両親が逮捕されたニュースが目に飛び込んできた。プレハブは内側からは鍵が開けられない仕様がされていて、複数台の防犯カメラが設置され、最近は毎日1度しか食事が与えられておらず、遺体発見時、女性の体重はわずか19キロしかなかった。

 

この事件を聞いて私はすぐにアメリカで起きたJaycee Dugardの誘拐事件を思い出した。学校へ登校途中の11歳の女性児童が誘拐され、その後18年間、倉庫で監禁された事件である。だか今回の一件は、加害者が実の両親だということで、私の知る限り、日本の歴史上類を見ない事例である。

 

口にするのも恐ろしいことだが、もしも「被害者は障がい者だから、自分とは関係がない」と思っている人がいたとするならば、そう思わずにはいられない。さらに言えば、あの当時、クラスの男性が、私の隣に住む男性に「穀潰し」と切り捨て、「半人前の命」とどこかで思っているのだとしたら、その無関心こそ悪意であり、差別ではないのか。

 

私は祖父母から、働かざるもの食うべからず、と何度も教えられた。私世代の人間からすれば鼻で笑い返せる言葉ではあるが、その考えが当たり前だった過去が日本にはある。その男性の他にも、何人か似た症状を抱えた子どもがいたが、月日とともに彼らの話題は消えていった。嘘か本当か「知恵遅を押入れに閉じ込めてそのままにした」などと聞いたりもした。地域にとって都合が悪いだけではなく、その家にとっても忘れたい過去であったかのように。

 

日本の安倍総理を筆頭とする安倍政権は、経済成長率を上げるために生産性の上昇に取り組んでいる。しかし、経済効率化の先に「生産性のない人間の切り捨て」が進んでいる。

 

女性の両親は女性が精神障害を抱えることに何か後ろめたさがあったかのように思える。精神障害を抱える娘の介護に鬱積があったのかもしれない。もしも、ある一部の施設の職員のみではなく、日本国民全員で障がいを抱える子どもがいる両親や彼女達への理解が十分であり、国としても真摯に彼らを社会の一員として歓迎する態度があったのなら、今回のような事件は防げたのかもしれない。そう思うと、胸が痛む。

 

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